髪が多過ぎてまげを結えない力士の対処法は
一方で、髪が多過ぎてまげを結えない力士もいる。この場合は頭頂部を丸くそり上げて毛量を減らしている。「中ぞり」といい、実は多くの力士がまげをほどくとカッパのようになる。
元大関琴奨菊(現秀ノ山親方)の中ぞりは、盛大だった。紅茶のカップを載せる「ソーサー」という皿がある。あのソーサーくらいの大きさだった。
中ぞりが嫌で、かたくなに拒む力士もいる。九重部屋の千代鳳のまげは極太だった。そういえば、師匠の故九重親方(元横綱千代の富士)がこう笑っていた。
「あいつのは、タクアンを載せてるみたいだな」
「まげが結えなくなった力士は引退」のデマの起点は?
まげが結えなくなったら引退——というデマは、どこから生まれたのか。諸説あるのだが、春日野部屋の創始者である横綱栃木山の引退がデマの起点といわれている。ちなみに、薄毛だった。
大正時代の人気横綱だった栃木山は、1925(大正14)年春場所で幕内優勝を果たしながら、翌夏場所で引退してしまった(当時は年2場所制)。ところが、引退後もべらぼうに強かった。
同年秋に行われた第1回全日本力士選士権に年寄として出場すると、2人の現役横綱を倒して優勝。先輩親方たちから「年寄が勝ってどうするんだ」と叱られてしまったという逸話も残っている。だが、薄毛だった。
腕力の強さでは、春日野部屋にこんな話も伝わっている。
東京・両国の春日野部屋の稽古場には、師匠が座る座布団の前にケヤキで作られた巨大な箱火鉢がすえられている。一度持ち上げようとしたことがあるが、私が力を振り絞ってもビクともしなかった。ある日の稽古後の掃除の際、栃木山の春日野親方が弟子にこう言ったという。
「おう、ここも掃け」
そう言うと、座布団に座ったまま、この巨大火鉢を持ち上げたそうだ。「バケモノだよな」と現春日野親方(元関脇栃乃和歌)。でも薄毛だった。
引退後も怪力を誇った栃木山は、なぜ土俵を下りたのか。「まげが結えなくなったから」というデマが流れ、広く信じられるようになったらしい。
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