「早口なのに滑舌も良い。それに久米さんの切り返しの妙はとにかく素晴らしかった。私はもちろん多くのアナウンサーたちの憧れの先輩でした……」

 1月1日に、肺がんで亡くなった久米宏(享年81)を、TBS時代の後輩であるフリーアナウンサーの生島ヒロシ氏(75)はこう悔やむ。年齢は6歳差の2人だが、入社年次は久米の方が9年早い大先輩だという。

生島ヒロシ氏 ©文藝春秋

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「アナウンサーはラジオで始まり、ラジオで終わるのが理想だ」とおっしゃっていた久米さんの、放送人としての原点は、永六輔さんではないでしょうか。久米さんの反権力の志向や、素朴な疑問を徹底的に追いかけるスタンスは「土曜ワイドラジオTOKYO」の永さんから始まったと思います。

 1970年から75年まで放送された「永六輔の土曜ワイドラジオTokyo」。番組における中継レポーターでの活躍が評価され、「久米宏」の名前は全国区になった。

久米宏さん ©︎文藝春秋

「久米さんの後番組は荷が重かった」

 当時の久米さんは、「永さんも思わず唸るような放送をしたい」と目標を掲げて、頑張っていた。この番組では色んな駅に行って、街行く人をインタビューする役割で。やり取りにリハーサルなんかないわけですからね。それを見事に、さも台本があるかのように、一般の人をどんどん面白くさせていくんですよ。

©文藝春秋

 新人アナウンサーの僕は、その中継レポーターの仕事を引き継いだんですけど、全然箸にも棒にもかからなくて(笑)。素人さんのリアクションに頭が真っ白になっちゃうことって多々あった。久米さんは、その真っ白な空間を見事に言葉で埋めていくんですよ。

 久米さんの後番組はとても荷が重かったなぁ……。当時、今の時代では考えられないくらい強い言葉でスタッフさんたちに怒られてばかりで、かなり落ち込んでいました。そんな時、久米さんの言葉に救われたんです。久米さんは、皆の前で、「ああしろ、こうしろ」とは言わないんだけれど、2人になった時に色々と言葉を投げかけてくれた。

©文藝春秋

「好きな仕事で食っていけるようになるためには、悔しさを乗り越えていかないといけない」

 この久米さんの言葉で「頑張ろう」って、すごく励みになりました。色々な先輩が私を励ましてくれたけど、久米さんの「頑張れ」はカッコいいスマートな言い回しでしたね。

 この続きは「週刊文春 電子版」で配信中。「ぴったしカン・カン」収録の舞台裏、新人アナウンサーに久米さんが語っていたこと、生島氏が最後に見た久米さんの姿など詳しく報じている。

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