――その当時は事務所に所属していたんですか?
青井 いや、フリーでした。たぶんめちゃくちゃ初期のインフルエンサーだったので、出られていたんだと思います。当時のTwitter(現X)で何万フォロワーかはいました。
関コレの育成所があるんですけれど、特待生で入れてもらったり、あとは通販のモデルや雑誌「ポップティーン」「ファインボーイズ」の撮影に呼んでいただいたり。優香ちゃんが主催するイベントに一緒に出演したりしていました。ウォーキングには自信があったし、好きなファッションにも関わる仕事だし楽しかったですね。
――モデルとしての活動も忙しそうですね。
青井 めっちゃ忙しかったです。高校3年生の頃は、週3回は早退して仕事に行ってました。そうしていたらある日、知り合いの人が「そんなに忙しいんやったら、事務所作って管理したる」と私の事務所ができたんです。
「死んでもやりたくなかった」のにグラビアデビュー
――最初は個人事務所だったんですね。モデルとして活動していたのに、どうしてグラビアを始めることになったんですか?
青井 個人事務所を作ってくれた知り合いがある日、突然「ちょっと東京行ってみよう」と言ってきて。ただ私は当時アルバイトも忙しかったんで「東京なんか行ってられへん、絶対無理」と言って断っていたんですけど、最終的には押し切られて東京に行くことになったんです。
東京では全然知らない男の人が待っていて。グラビアのコーディネーターだったんですけど、その人に連れられて出版社に行ったんです。そうしたら人生で初めて水着を着させられて、その後、出版社の編集者の人に「じゃあ来月撮影しましょう」と言われました。
――それで「はるかぜ.」の芸名でグラビアデビューしたわけですね。
青井 そうなんです。私からしたらマジで訳がわからなかったんですよ。そもそも水着は着たくないし、グラビアは死んでもやりたくなかったんですよ。その頃はグラビアとAVの違いもわかっていなくて。「絶対グラビアはやりたくない。生まれ変わってもやりたくない」とずっと抵抗してました。
