「もう一回やってみるか。ダメやったら辞めたらいいし」と決断して再上京
――青井さんにとってはグラビアは苦しい思いの方が多かったんじゃないですか。
青井 そうなんですけど、思い出したのが表紙を飾った時のことだったんです。私が表紙をさせてもらった時に、大原優乃ちゃんが中グラビアに載ってたんです。
ちょうどその頃、大原優乃ちゃんをテレビで見る機会があって「私がもしあのままグラビアを続けてたらどうなってたのかな」っていう世界線が気になり始めて。それで「じゃあ、グラビアをもう一回やってみるか。ダメやったら辞めたらいいし」「とりあえず東京に行ってみよう」となったんです。
――決断が早い(笑)。
青井 それで「週刊プレイボーイ」の編集さんに連絡して、会いに行ったんですよ。そうしたら編集さんが「もう一回やるんだったら、ちゃんと事務所入った方がいいよ。僕が紹介するから、3つぐらい行ってきな」って言われて、そのうちの1個が太田プロダクションだったんです。
――それで事務所に入ったら、グラビア復帰するという流れに?
青井 いや、ならなかったんですよ。太田プロに入った時に「何やりたいの?」「うち、グラビアとかしないけどいいの?」って言われて。「大丈夫、とりあえず入れてください」と入りました。
――今はグラビアの仕事をしてますよね?
青井 グラビアについては出版社に自分で売り込みに行ってます。企画書を6通くらい持っていって「こういうのをやりたいです」とプレゼンして。その企画が通って、デジタル写真集にしてもらったりしています。なので、今やっているグラビアの仕事は誰かにやらされているものではなくて、基本自分でやりたいと思うことをさせてもらっています。
東京・大阪で引っ越しを繰り返す理由
――ただ上京した後に、一度大阪に帰ったと聞きました。なにがあったんですか。
青井 最初に一人暮らしした部屋は私のわがままで、4部屋ある部屋にしたんですよ。衣装部屋が2つあって、家具もカーテンも全部オーダーで頼んだんです。その分、都心ではなく少し田舎の方にしていたんですけれど、そうすると常に終電が何時か気にしないといけないんですよ。それがすごくストレスで。終電が近づくとソワソワして何も楽しくない(苦笑)。

