「青春がなかったですね」

 ごく短期間でしたが、姉が家を出て一人暮らしをした時期がありました。そこは大学に近い「◯◯荘」という名の学生下宿で、姉は「パパの名前に似てる」という理由で決めたようです。やっぱり父への尊敬の念は大きいのですが、家から離れてのびのび暮らす機会を姉は手に入れたんです。私がボート部の活動で家から離れがちだったのと同様に、姉も両親と距離を置き、両親の影響を受けない生活を選ぼうと姉なりに考えていたのかもしれない。

 一人暮らしをしていたこの時期、どのような生活を送っていたかはわかりませんが、姉は正しい判断をしたと思いました。なぜならこの時が、自分の精神的な危機を改善できる最大のチャンスだったからです。急性症状が出た後、妄想は続いていましたが、せっかく家を出たのだから家族が関わらないほうがいいと考え、私は姉を応援する気持ちで下宿にはあえて近づかないようにしていました。

 けれど、よせばいいのに母が毎日仕事帰りに立ち寄るようになった。そして原因はわかりませんが、半年後に姉は家に戻ってきてしまいました。

ADVERTISEMENT

 姉が家を出るといえば、時期が判然としないのですが、姉と結婚したいと申し出る人が現れたことがありました。結婚を望んでいる本人も姉の病気のことは承知の上だった。だけど「結婚は無理だろう」と引きとってもらったと母から聞いたことがあります。

 あとは、最初の発症から2年後だったと思いますが、姉が急にいなくなってしまったこともありました。

「お姉さんが玄関先に立ったまま、動こうとしないので困っている」

 ある男性からこのような電話を受けたんです。姉は好意を持っていた男性を追いかけて家まで行ってしまったらしい。結果、警察に保護されたというので迎えに行きました。姉に関する恋愛絡みと言えるようなエピソードとして思い出すのはこの2つの出来事です。

1990年頃。大学卒業後に母の研究室で研究生をしていた時か。 ©2024動画工房ぞうしま

 姉のいない食卓で、母が父に「(姉には)青春がなかったですね」と漏らしたことがありました。すると父が首を振って「そんなこと言っちゃいけない」と言った。

 聞いていた私は表面上は何の反応も示しませんでしたが、この両親のやりとりに大きな衝撃を受けました。母が「青春」という言葉を用いたことで、姉の人生のある時期に何らかの大きな損失があったように感じられたのです。この時のことは、何十年経っても忘れられません。

どうすればよかったか?

藤野 知明

文藝春秋

2026年1月29日 発売

次の記事に続く 「できなきゃだめだ」「病院に叩き込んでやるぞ」約30分続いた大声、姉はどんな気持ちだったのか…弟が“統合失調症の姉の記録”を初めて残した日

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。