たぶん人間ほど狩りやすい動物はいない。それなのに人間は、自分たちは狩りの対象にはならないと素朴に信じているところがある。だから熊に襲われた人のニュースはあれほどセンセーショナルに映るのだと思う。都市に守られて生きる人間は獣の匂いさえすっかり忘れている。私は人里に下りてきてしまった熊を殺すなとは言えず、ただ信頼が崩れてしまったと考える。熊が人間の領域を侵してくるのなら、人間は毅然として戦わなければならない。けれど「じゃあお前は殺せるのか?」と問われたら躊躇してしまう。私は弱い動物だとやっぱり思う。反対に、人間が熊の領域を侵すなら、攻撃されたとしてもそれは仕方ないのだし、熊の領域に食べ物を含めて熊の興味を引くような人間の痕跡を残すべきではない。それが動物としての礼儀であると思う。そういうことを長い間守り続けることで生まれた信頼があった。コロナ禍でアウトドアブームが起こって人間たちがこぞって山へ入っていった時、そこに住む他の動物は何を思っただろうか。今、人間の領域に熊が入り込んでくるのはその裏返しのように見えてくる。ドングリやブナの実が大凶作だと言うのだから、自然を楽しもうとする人間よりずっと必死だ。熊はただ生きたいだけなのだ。

うっかり近づきすぎて見た羆の姿

 動物の写真を撮るカメラマンはどのくらいの距離から羆を撮影するのだろう。このくらいの距離で望遠レンズを使えば堂々たる羆の姿が撮れるかもしれない。怯えるほどの距離ではないが、できればすみやかにこの場を離れたほうがいい。私はiPhoneのカメラを構えようという気にはならなかった。野生動物の写真を撮りたいとは思わない。代わりにずっと覚えている羆の姿がある。自分が今より若くて未熟だった頃にうっかり近づきすぎて見た羆の姿だ。背中に秋の陽を浴びて金色に輝いていた。あれをカムイと表現した人々の気持ちがわかったような気になった。その羆は私には目もくれないで、光が躍動する草の波間を悠然と歩いて行った。こうやって、私も羆に美しく気高いイメージを与えて憧れる。そんなことを思い出しつつ、一頭の動物の私は長靴の足跡だけを残して、背中を丸めて跳ねるように、その場を去った。

次の記事に続く 「さっき、木村さんの家のまえを、熊が走っていきましたよ」確実に近くにいるのに、なんだか遠い