「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なぞしるんだ」

 撃ち殺した熊に向ってこんなふうにぼやく猟師の小十郎は、熊に敬意を払っていて、狩られる側の熊たちも小十郎に一目置いている。山では堂々とふるまう小十郎だが、町の荒物屋に熊の皮を売りに行くときは、情けない態度になる。旦那にさんざん侮辱されたうえで、買い叩かれる。

「ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない」と書かれるのに反し、いまや、大きな荒物屋(盛岡の中心街には一八一六年創業の「茣蓙九」という店が健在)のある町なかに、平気で熊は出る。いま、熊撃ちを侮辱したら、いざというとき、出動してもらえなくて熊に食われるのは町の旦那のほうかもしれない。そこまでいかなくても、岩手旅行は熊を怖れてのキャンセルが相次ぎ、夜に出歩く人が減って繁華街は大打撃を受けている、とも聞く。人間としての誇りを踏みにじられるような安い値段でも毛皮を買ってもらえないと一家が餓死するほどに貧しかった小十郎が、じつは、山と人里の境目を守っていたことが、この一篇を読めばわかる。

ADVERTISEMENT

 身近な熊、といえば、私の愛用するキーホルダーは熊の牙で作られたものだ。猟師でアクセサリー作家の友人から購入した。外出時は持ち歩いて、家にいるときは仕事机に置き、お守りみたいでもある。

 先日、早池峰山麓の民宿へ泊りにゆくと、夕飯に熊肉が出た。新潟県に暮らす息子さんが送ってくれた新潟の熊だ。薪ストーブに載せた鉄板で焼いたものを、どんどん、玄米ごはんのうえにのっけてくれて、じっくりと噛みしめ頂いた。牛に近い味で野生を感じる深みがありとても美味しかった。熊のあとは猪肉も焼き、鉄板にのこった脂で玄米を炒めたピラフも頂いて、これも絶品だった。おもわず、熊、もっと、食肉にすべきでは、と言ったけれど、解体が大変で流通はむずかしいらしい。

共棲する道を探りたい

 盛岡市内の人気スパイス料理店では、夏頃に熊肉のカレーを出していた。あれはどんな味だったのだろう。食べ損ねたのが悔しい。なにせ、谷崎賞を受賞したのは熊のおかげでもあり、私はお腹に収めるいっぽうで、足を向けては寝られない、という感謝の念も抱いている。共棲する道を探りたい。早く冬眠してほしい熊に注意し、熊鈴を鳴らし散歩しながら、次にあそこが熊肉カレーを宣伝していたらかならず食べに行こうとも脳裏をよぎる日々を送っている。

最初から記事を読む 盛岡市郊外に住んで一カ月「近所の防災無線から三日に一度、ときには日に数回、クマの出没情報が」