「戦争よりひでえや」
ほっとした。これで自分が嘘をついていないことが証明されると思ったからだ。しかし、結果は完全にクロ。同容疑者は「警察は自分を犯人に仕立て上げるためなら何でもやる。抵抗しても無駄」と絶望、10月15日に自供に追い込まれる。当時、留置所で書き留めていた桜井さんの手記には「嘘を話せば命があり、真実を話すと死さえある。戦争よりひでえや」という悲痛な一文が記されていた。
自白の際、桜井容疑者が「杉山と一緒にやった」と供述したことを受け、翌16日、桜井さんの兄の友人である杉山卓男さん(同21歳)が不良仲間とともに起こした傷害行為の容疑で逮捕される。
杉山さんは桜井さんと同じ竜ヶ崎第一高校を無免許運転で退学になった後、機械工の職に就いたものの生活は荒れ、19歳のときには乱闘騒ぎで保護観察処分を受けた他、暴力団の抗争にも参加。恐喝や喧嘩は日常茶飯事だった。
警察は、暴力事件の取り調べはそっちのけで、布川の強盗殺人について追及。まさかとは思ったが、「桜井は全部正直に話した。おまえも一緒にやったんだろ」と圧をかけられ、彼もまた17日に自供してしまう。
23日、強盗殺人罪で両名ともに逮捕。12月28日に起訴される。
水戸地裁土浦支部で始まった裁判では両被告ともに「自白は警察に強要されたものである」と無罪を主張したが、同地裁は自白は任意によるものと認定し、1970年10月6日、2人に無期懲役を宣告する。控訴審も上告審も一審判決を支持し、1978年7月3日に最高裁で刑が確定。2人は千葉刑務所に収監される。
事件に残る多くの疑問
本事件には多くの疑問点があり、当初から冤罪を疑う声が上がっていた。桜井さんの自白調書には〈右手で(被害者宅の)ロッカーを開けようとした。その後、机の引き出しを開け、右手で中をかき回した〉と記されていたが、犯行現場に残されていた43の指紋で2人と一致したものは皆無。自白調書に、犯行時に2人が手袋をしていたり、指紋を拭き取ったという記載も一切ない。果たして、こんなことが現実にあるだろうか。弁護団の指紋再現実験でも、指紋を残さずに供述書どおりの犯行を行うことは不可能という結果が出た。
目撃証言にも疑問がある。桜井さんは逮捕から14日目に獄中で事件が起きた8月28日の記憶を思い出し、その日は夕方から布川から電車で2時間以上かかる東京・高田馬場の居酒屋で飲み、21時ごろに中野にある兄が経営するバーに行ったことを手記に書き残している。
ちなみに、この記述は桜井さんが独自に考案した暗号で綴ったもので、警察にバレて拷問のような取り調べを受けるのを避けるためだった。対して、警察は、そのアリバイを崩すため、同日19時ごろ、現場付近の橋の石段で桜井さんと杉山さんを見かけたという人物を探し出した。もし、これが事実なら桜井さんの記憶は誤りだったことになる。