「戦争よりひでえや」――。1967年、茨城県で起きた強盗殺人事件。証拠がないまま、20歳の青年が犯人と決めつけられた。連日続く密室での取り調べ、否定するほど強まる圧力。やがて彼は、やってもいない罪を認めさせられる。
後に冤罪と断じられた〈布川事件〉から浮かび上がる「警察の深い闇」とは……。新刊『世界で起きた恐怖の冤罪ミステリー35』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
◆◆◆
茨城県で起きた女性殺害事件
1967年(昭和42年)8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川で大工を営む一人暮らしの玉村象天さん(当時62歳)に仕事の依頼をしに来た近所の女性が、自宅の8畳間で死亡している玉村さんを発見した。通報を受けた取手警察署の調べで、遺体は両足をタオルとワイシャツで縛られており、死因は首に木綿のパンツが巻きつけられたことによる窒死と判明。
死亡推定時刻は28日の19時から23時ごろとみられた。また室内は荒らされ物色した形跡が認められ、金貸しもしていた被害者所有の「白い財布」が無くなっていることがわかった。
強盗殺人と断定、捜査に乗り出した警察は地元の素行不良者を片っ端から事情聴取する一方、近隣住民から28日夜に現場付近で怪しい2人組を見たとの目撃情報を得る。
容疑者にのぼった20歳男性
そこで最初に疑惑の目を向けられたのが、竜ヶ崎第一高校中退後、定職に就かず仲間と遊び暮らしていた桜井昌司さん(同20歳)だ。事件から41日後の10月10日、取手署は桜井さんを友人のズボンを盗んだ窃盗罪で別件逮捕した後、本件の強盗殺人について取り調べる。身に覚えのない彼は当然のように事件との関与を否定した。
が、物的証拠がない警察は「おまえが殺ったんだろ」「おまえの言ってることは全て嘘だとわかっている」と最初から犯人扱いで自白を迫る。
40日以上前の事件当日のアリバイが証明できないことにも付け込んできた。警察の当時の記録によれば取り調べは5日間、計41時間とあるが、実際は連日朝から深夜12時ごろまで行われたという。
隔離された密室での拷問に近い自白強要に桜井容疑者の心は折れそうになる。が、やっていないものを認めるわけにはいかない。と、ここで警察が嘘発見器を持ち出してきた。

