キャンペーンガールとしてデビューしたため、最初は水着での仕事も多かった。ただ、本人にとってそれは必ずしも本意ではなかった。ファンを集めて撮影会が開かれ、セクシーなポーズを求められることもあったが、彼女には抵抗があったという。そのうちに、どうせやるなら俳優になってやろう、水着はそのためのステップにすぎないと考えるようになる。芸能界入りした翌年、1985年にはドラマ『婦警候補生物語』(日本テレビ系)で俳優デビューした。

音楽事務所「研音」初の俳優として

 しかし、所属事務所の研音はもともと音楽事務所として設立されたため、当時もまだそのイメージが強く、財前がドラマや映画の制作スタッフに挨拶に行っても、“歌の事務所のタレント”という感じであしらわれることが多かったようだ。このころの同事務所の所属タレントでは、中森明菜が歌手として全盛を迎える一方、浅野ゆう子が歌手から俳優専業へと転じ、2時間ドラマで注目されるかどうかというころだった。

 そのなかにあって財前は、研音で初めて俳優として雇ってもらったというプライドから、いまは与えられた仕事を一生懸命にやり、たとえ端役であっても絶対に印象を残そうと自分に言い聞かせていたという。だが、順風満帆とは言いがたく、新人女優の登竜門だったNHKの朝ドラのオーディションにも3度挑戦し、いずれも最終審査に残りながらも落ちてしまった。20歳のときには1年ほど仕事がない時期を経験する。それでも空いている時間を俳優修業のために使い、水泳やエアロビクスで体をつくったり、勉強のため読書をしたり映画のビデオをたくさん観たりしていた。

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現在は名だたる俳優陣が所属する(研音HPより)

「仕事やめて田舎に帰れ」

 そんなある日、マネージャーから突然、「おまえ、仕事やめて田舎に帰って嫁に行け」と告げられる。日頃の努力を全否定するような一言に財前は悔しがり、「本当にわたしに女優として見込みがないのだったら言ってください。でも、まだ可能性があって、あなたにやる気があるのだったら、一緒に頑張っていただけませんか?」と言い返した。これを聞いてマネージャーも考えを改め、自分なりに頑張ってみると約束してくれた。

「田舎に帰れ」の一言にますます奮起した財前は、マネージャーの懸命のプロモーションのおかげもあって、しだいにドラマの仕事が入ってくるようになる。映画にも『極道の妻たち 三代目姐』(1989年)で初出演した。翌1990年、24歳のときに公開された時代劇映画『天と地と』は俳優として一つの転機になった。

スタントなしで挑んだ落馬シーン

 同作で彼女は戦国武将・武田信玄の側室で、女騎馬隊の隊長である八重を演じた。役作りのため練習して馬に乗れるようにし、カナダでのロケ中は20キロの鎧をつけ、片手に槍を持ちながら、馬を走らせた。八重が戦場で落馬して死ぬシーンでは、角川春樹監督から「やれるよな?」と言われ、スタントなしで臨んだ。合図とともに体の力を抜き、馬上から転げ落ちると、その落ち方が高評価を受け、自分でもこんな度胸があったのだと自信がついたという。