再開発の波

 だが、再開発の波はついにこの街の“昭和の残党”を飲み込む。違法建築同然で老朽化が進み、消防法の基準も満たさない区画が多かったことから、行政・鉄道会社・地権者の合意により撤去が決定した。昭和・平成・令和と放置されてきたのは、あまりに地権が複雑だったためだが、複雑さが解けた瞬間、戦後の名残はあっけなく姿を消した。屋台群が更地になったとき、古くからの住民や早稲田OBたちは「馬場から時間の層が剥がれた」と語った。猥雑であれ不便であれ、そこには若者文化と戦後都市の“生きた記憶”が詰まっていた。屋台村は、最新型の都市空間に更新された駅前において、明らかに異物であった。しかし、街の猥雑さの核が失われたことで、逆説的に高田馬場の現在の姿は「整い過ぎて落ち着かない」ものとなった。

 1970~90年代といえば、高田馬場の雑居ビルには深夜喫茶、ゲームセンター、学生金融、アダルトショップ、ビデオ試写室、風俗案内所が入り混じっていた。地下にはピンサロが入り、地上には学生価格の飲み屋や深夜食堂が並び、若者の欲望と弱さが可視化された街として雑多な受容力を持っていた。

 しかし2000年代以降、娯楽の中心がウェブに移り街が抱えていた“猥雑の深さ”が薄れていった。

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 ビッグボックス自体は、大胆なテナント入れ替えを行いながら生き延びた。スポーツ施設の縮小、新しいフィットネス業態の導入など、若者の消費行動の変化に合わせて形を変え続けた。いまでは巨大なアクティビティ施設というより、学生・サラリーマン・地域住民の生活導線に寄り添った“駅前サービスの器”として機能している。外観が赤から青へと変わったことも象徴的だ。激しい赤は高度成長期の勢いを思わせ、青は落ち着きを象徴するが、街の成熟と猥雑さの退潮を反映しているようにもみえる。だが、整いすぎた街のなかではビッグボックスの巨大な無装飾の箱は、どこか“不気味な時代遺産”の異物性を際立たせる。そしてそれこそが、高田馬場の猥雑さの残り火のようにも感じられる。

令和の高田馬場に漂う“青春の残響”

 令和の高田馬場を歩くと、猥雑さの濃度はかつてより確実に薄まっている。風俗案内の看板は減り、昔のような学生ローンの広告も目立たない。深夜の雑居ビルに漂っていた危うさが後景へ押しやられた。コンビニとチェーン飲食店が増えたことで、都市の均質さが駅前を覆い始めた。

 もちろん街の奥行きまで消えたわけではない。早稲田通りの裏手に残る古い飲み屋、学生スポーツの掛け声、単位の話題で盛り上がる会話、アニメ・ゲーム文化の濃い店、リーズナブルな定食屋、地方から出てきた若者が暮らす安アパート――。そこには確かに“学生街の熱”が息づいている。令和の学生たちはスマホで情報を完結させ、街をさまようことが少なくなった。それでも深夜の馬場には、講義、サークル、バイトを終えた若者が集まる瞬間があり、その時間帯だけ街はかつてのざわめきを取り戻す。

「春になると馬場には新しい顔が増え、秋になると誰かがいなくなる」。この季節ごとの新陳代謝こそが、高田馬場の本質であり、街を永続的に“青春の居場所”として保ち続けてきた理由でもある。

次の記事に続く 「梅酒1杯で15万円」は序の口…歌舞伎町の雑居ビルで、客から財布の中身をすべて吸い上げる“悪魔のシステム”とは《ぼったくりの実情》