「丙午男子」にもメリットがあったはずだが…

昭和の丙午女子の就職には、もう一つの追い風があった。高校卒業の翌年にあたる1986年に施行された、男女雇用機会均等法(雇機法)だ。雇用という分野で「男女の均等な機会及び待遇の確保を図る」ことを目的としたこの法律は、それ以前に比べ女性の就業機会を拡大し、働き方を多様化させた。コーホートサイズ+バブル経済+雇機法という、「トリプル恩恵」を受けたのが1966年の丙午女性たちだった。

「コーホートサイズの恩恵は男女ともに得ているはずなのに、丙午は女性ばかりが注目されるのも特徴です。長嶋一茂さんはじめ丙午生まれの男性の著名人は多いのに、なぜか彼らは”丙午だから”という言われ方はしない点も面白いところです」(吉川教授)。

丙午を回避するための計画出産が行われた結果、1967年の新生児は早生まれ(1月1日〜4月1日生まれ)が極端に増えるという特殊な傾向も表れた。干支はお正月からの1年間を指す一方、日本の学校や会計年度は4月に始まる。そのため、1966年の早生まれベビーは昭和の丙午としてのメリットをまったく得られなかった一方、1967年の早生まれは干支では丁未(ひのとひつじ)なのに、前年の丙午の人口減の恩恵を得ている。

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そもそも「八百屋お七」は丙午生まれではない

そもそも、「昭和の丙午」がなぜ、年間出生数が4分の3になってしまうほどの大騒ぎになったのか。

「丙午の女性は気性が激しく……」という迷信の元は、1682年に恋人に会いたさゆえに火事件を起こした「八百屋お七」とされている。東京消防庁のウェブサイトにある「消防雑学辞典」の項目「ぼやで身を焼く八百屋お七」によれば、火災自体はぼや程度で済んだようだが、当時の江戸において放火は重罪であり、お七は翌年火あぶりの刑に処せられた。

この事件が井原西鶴の「好色五人女」に描かれ、お七が1666年の丙午生まれという設定だったことから、丙午女性に対するヘイトが始まったとされる。とはいえ、その後の検証でお七の生年は1666年ではないことがわかっており、あくまで小説の設定として使われたにすぎない。