俊足外野手から日本屈指のトップスプリンターに
実はこうした思いを持つ元高校球児は、植木だけではない。
「高校時代の福井商には本当に運動能力のすごい選手がたくさんいましたね。毎年、立ち三段跳び等の身体測定をするんですけど『絶対に抜けないだろ』というOBの記録もたくさんあった。ベンチ入りできなかった選手の中にも『もしアイツが陸上競技をやっていたら、凄かっただろうな』と思うチームメイトはたくさんいます。どうしても野球は指導者との相性もありますし、アスリートだから活躍できるというわけでもないと思いますから」
こう語るのは06年、07年と福井商高時代に2年連続で夏の甲子園に出場した村田和哉だ。
俊足の外野手として2度ともベンチ入りを果たした村田はいま、陸上競技の100mで10秒29という自己記録をもつ日本屈指のトップスプリンターになっている。海外の大会でも優勝するなど、一線級での活躍を続けている。
「中学時代に軟式野球の福井県選抜として、日本一になることができたんです。そのメンバーで『絶対に甲子園に行こう』ということで福井商に進学しました。だから、僕の中では甲子園が最大の目標で、それを達成して燃え尽きてしまったんです。それもあって大学で野球は続けませんでした」
「“走る”ってこんなに頭を使うものなんだ」
法政大に進学した村田は普通の大学生活を始めた。
「でも、目標のない生活に退屈さを感じてしまって。高校で野球をやっていたときから足には自信があったので、陸上競技に挑戦しようと思ったんです」
そうして東京のクラブチームで競技としての陸上をはじめた村田だったが、1カ月足らずで大きな壁にぶつかったという。
「“走る”ってこんなに頭を使うものなんだと衝撃を受けたんです。それこそ高校時代の野球部は80人以上部員がいるような強豪で、みんな身体能力はもの凄かった。他にも全国大会に出場するような部も多い高校でしたが、それでも陸上部に負けるイメージは全くなかったんです。それだけに本格的な陸上競技に触れて、驚かされた部分は多々ありました」
それでも経験の少なさを補って余りある才能はすぐに花開く。陸上を始めて1年目には、リレーで日本選手権に出場するまでに成長した。大学卒業後は地元・福井の企業に就職して競技を続け、12年の秋には現在所属している実業団のユティックに移籍。14年には100mで福井県記録も樹立した。
陸上をはじめてからはまだ8年目だが、29歳になる今年は勝負の年だと笑う。
「野球と陸上だと、やっぱり個人競技の分、陸上の方が緊張するかもしれません。野球はチームみんなでやる分、重圧も分散される。野球の経験が陸上に活きているところもありますね。スタートの時なんかは『野球だったら牽制を気にしないといけないけれど、陸上は音を聞いてスタートするだけだ!』と開き直れるとか、主に精神的な部分が大きいですけど(笑)」