チームは春・夏ともに甲子園に出場したものの
166cmの小柄な身体に宿った負けん気の強さが呼び起され、そこからは必死に練習を積んだという。普通の選手が10km走るところを20km走る。持ち前の気持ちの強さをマウンドでも発揮する。そんな地道な努力も実を結び、2年生からはベンチ入りできる3人目の投手に選ばれた。
だが、同時に感じることもあったという。
「やっぱり僕から見ても1番手、2番手の投手は球が違いました。プロのスカウトが来る時もありましたが、まずは2人が投球練習をして、それから僕という感じ。2人との間には線が引かれていた感じがありました。そこはシビアな世界だなと思いましたね」
3年時もチームは春・夏ともに甲子園に出場したものの、植木は故障もあり、マウンドに立つことはできなかったという。
「2年生の秋大会では凄く良い投球ができたんですが、そこでの無理もあってケガをしてしまったのが大きかったですね。最後の夏もベンチ入りはしたんですが、甲子園のマウンドに立つことはできませんでした」
野球は「センスのスポーツ」
その後は当時の野球部監督の勧めもあり、大阪産業大学でアメリカンフットボールを始めると、その才能は開花。大学のオールジャパンに選ばれるなど、躍進を果たした。
大学卒業後の社会人でも活躍を続け、前述のように09年から11年までは日本代表にも選出。海外勢を相手にも低く、強烈なタックリングを見せるなど、日本チームの中でも特筆すべき結果を残した。
そういった経験を経た上で、植木には思うことがあるという。
「野球とアメフト、2つのスポーツを経験して思ったのは、アメフトは努力による伸び幅が大きい。一方で野球は『センスのスポーツ』だということです。例えば時速150km近い速球を打つときに、数センチのミートポイントの差を調整するというのは、身体能力ではなく感覚能力だと思うんです。
高校時代を振り返っても、身体能力は僕よりはるかにすごい選手がたくさんいました。でも、それと野球が上手いというのはまた全然、別の話なんです。そういう部員の中には試合に出ることなく終わってしまう選手もたくさんいましたけど、彼らがもし、僕のように別の競技に目を向けて挑戦できていたら、すごく活躍した人もいるんじゃないかと」