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2018/08/13

高校時代に別の競技に触れることができれば……

 植木と村田は、育ってきた背景も野球をやっていた時代も違う。だが、話を聞いてみて、両人が口をそろえたのが「高校時代に別の競技に触れることができれば良かった」ということだった。

 植木は言う。

「例えば野球は冬の期間は基本的に走り込みが練習の中心になります。だったらラグビー部の練習に参加して、新しい動きを試しながら走った方が良かったなとか思いますね。僕は個人的に格闘技が好きだったので、結構自分でそういう情報も調べてウエイトトレーニングなんかもしていましたけど、ほとんどの部員は野球一色になってしまっていた。そういうのはすごくもったいなかったなと、今は思いますね」

 村田もその意見に同意する。

「陸上競技って股関節をいかに使うかがすごく重要なんです。その使い方次第でスピードも上がるし、スプリント能力も向上する。でも、高校時代にそういう走りの専門的な考えって全然なくて。そういう知識は陸上競技を経験したことで得られたし、もし当時から知っていたら……と思いますよね。『野球しかない』と視野を狭めるんじゃなく、他の競技を試すことで、野球に活きる部分もあったと思います。そういう知識があればもっと活躍できたチームメイトもたくさんいたんじゃないかと思うんです」

 植木も村田もいわゆる「エースで4番」というようなチームの主軸ではなかった選手だ。それでも、別の競技では特筆に値する成績を残してきた。2人の他にも14年の春の甲子園で優勝した京都・龍谷大平安高で三塁コーチを務めた佐々木翔斗は現在、競艇(ボートレース)で活躍。神奈川・桐光学園高時代の02年に春・夏連続で甲子園の土を踏んだ北村晃一はプロゴルファーとして躍進するなど、同様の例は枚挙にいとまがない。これは、高校野球をプレーする選手たちがもつポテンシャルの高さを示しているように思う。

10万人以上の部員は一度も試合に出ない

村田さんが出場した、2006年夏の甲子園 ©共同通信社

 日本で“甲子園”というのは特別な場所だ。

 数ある競技の中でも、野球人気は今でも根強く、甲子園を目指す高校の硬式野球部員は約17万人もいる。

 一方で、そのうち10万人以上の部員は競争に敗れ、一度も試合に出ることなく高校での競技を終えることになるという。また、仮に高校時代に活躍したとしても、その先のプロ野球や大学、社会人野球で競技を続ける者は決して多くはない。

“甲子園”という蠱惑的な舞台があるからこそ、そこから先に夢を描くことができない選手が、数多くいるのだ。そんな選手たちにもし、他の競技に触れる機会があったなら、もしかしたら幻の日本代表やメダリストが誕生していたのかもしれない。

 もちろん、本人が納得して裏方としてチームに尽くすことで学ぶことは多いと思う。野球という競技一本に打ち込むからこそ、得られるものもあるだろう。決して一元的にそのことが悪いことだとは思わない。

 ただ、もしも自分の限界に悩む球児がいるとしたら。もし、グラウンドに立ちたくても立てない球児がいるのならば――。

 選手自身も指導者も、ほんの少しだけ視野を広げて他の競技に目を向ける。そんなきっかけがあってもいいのではないだろうか?

植木大輔(うえき だいすけ)
1980年8月3日、滋賀県生まれ。小学校1年生から野球をはじめ、近江高時代に春・夏の両甲子園に出場。大学からアメフトをはじめ、日本代表に。富士通を経て、人材会社に所属。そのかたわら『Daddy Park Training』というトレーニング団体を主催する。

村田和哉(むらた かずや)
1989年8月30日、福井県生まれ。小学校でソフトボールを始め中学時代には軟式野球で日本一に輝く。福井商業高で夏の甲子園に2度出場した。法政大在学中に陸上を始め、地元企業に就職後、2012年にユティックに移籍した。

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