――書籍で印象的なことの1つに、青春期に児童文学の『ゲド戦記』(ル=グウィン著)を読む箇所があります。
藤野 たとえば『巨人の星』のような日本の“スポ根”ものだと、困難に直面した時、「逃げちゃいけない」「立ち向かえ」となる。建前としては立派だけれども、実際にそうするのは難しいですよね。
だけど『ゲド戦記』(第1部「影との戦い」)は違いました。ひたすら逃げまくる。しかし向き直る。すると、だんだん相手が見えてくる。そして、いつかは問題と対峙しないと解決はしないんだと気づかされました。家族のことで悩んでいた私と、『ゲド戦記』の世界観は、重なる部分があったように思います。
96歳の人間の心境はわからない
――映画の最後は、96歳のお父さんと藤野さんの対峙です。ここまでは撮影者の藤野さんは基本的にフレームの外にいたのが、フレーム内に入り、お父さんと向き合って、問いかけます。「家族のドキュメンタリーを公開してもいいか」と。
藤野 母も姉も亡くなり、存命中の家族は父と私だけになりました。できるだけ、映画を公開することの承諾を当事者から得たほうがいいですから、父に「公開していいか」とカメラの前で聞いたのです。あの時、父がダメだとは、おそらく言わないだろうと思っていました。父は親として子供の仕事の邪魔をしたくないと80歳を過ぎてからはよく言っていましたから。
けれども、父の姉の体調に対する判断、行動を公にされることを、父は懸念していたと思います。複雑な思いだったと思います。だけど、やめてくれとは言わなかった。
――映画は、自分の子供の仕事の1つの到達点であり、同時に家族の姿を世にさらすことでもあった。お父さんは前者を優先したのでしょうか?
藤野 どういう心境だったか、96歳の人間の心境は、私にはわからないです。

