師としての想い 森下卓「無視は尊敬に勝る」

 あまり良くない言葉ですけど、“負け下”というのがあるんです。私は羽生さんに散々負かされたので、やる前から負けるような気がしてしまう。なんでこんなポカをするのか、そんな手を指すのか、はなはだわからなかったんですが、やっぱり“負け下”になっていて、負ける方に負ける方に持っていくというのを自分は感じたんです。

 藤井君が強いってみんな言うんですけど、それは大丈夫なのかと思いますね。

 西洋に「無視は尊敬に勝る」という言葉があるんだそうです。尊敬するよりも無視した方がいいってことなんです。ポーズであれ、本心であれ、そういうのはやはり自己暗示にかかりますし、周りもそう見てしまうので。中国や韓国の囲碁棋士は、そんなことは一切言いません。もう倒すべき敵でしかないわけです。だから尊敬するっていうのはどうなのか。周りだって藤井君の方が格上なんだという認識になるじゃないですか。何も言わずにひたすら打ち込む方がいいんじゃないかな。

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 私が一番勝っていた頃、3年間で161勝したことがあるんです。なんとしても勝つんだと必死でした。増田にはそういう気概は感じない。是が非で頑張らなくても、ここまで積み上げてきたというのは、やはり増田は才能が違うのだと思います。藤井君に全然負けていない。

 ただ、このまま淡々とした姿勢で行くのはどうなのでしょうか。あるプロゴルファーは「ねじ込んででも入れるという気持ちが一番大事だ」と言っていました。永瀬君とかは、その気持ちが強いんじゃないですかね。

 2012年の8月7日に、私と永瀬君で銀河戦の予選を戦ったんです。彼はまだC級2組で振り飛車党でした。私が明らかに勝勢の局面になったのですけど、永瀬君が凄い顔をして頑張っているんですよ。泣きそうなくらいに歯を噛み締めて。それを見て、ああ、俺もこんなに打ち込んだ時があったなと……。

 自分の子供みたいな年齢ですよね。情が入ったわけじゃないですが、見ていて堪らなくなり、私は時間を残して逆転負けしてしまったんです。憐憫もあり、そこまで将棋に打ち込めるんだなという羨ましさもあり。あの将棋は忘れられない一局です。

 その帰りに、神宮橋にあった蕎麦屋さんに一人で入りました。こんな負け方をするようじゃ、俺もダメだなと思いながら、ふと、癌で療養中の米長先生に電話してみたくなりました。普段はほとんど出られることはなかったのですけど、その時は通じたんです。「すぐ来られるか?」と言われてご自宅に伺いました。先生は穏やかにされていて、今後の将棋界についてお話しされました。自分はまだまだという気持ちと、やはりもう厳しいのかという諦めと両方あった気がします。