「革命の精神を忘れ、退廃的な生活を送っている」

「北韓主要人物情報」では、金英柱は74年2月、副首相に就任してから、93年12月に党政治局委員に就任するまでの間、公式の活動記録が途絶えている。この空白の期間中、金英柱は慈江道江界の特閣で過ごしたとみられる。

 北朝鮮関係筋によれば、金英柱が地方に追いやられた時の理由は、「革命の精神を忘れ、退廃的な生活を送っている」というものだった。金日成自身も74年ごろ、金英柱について「昔は誠実だったのに、このごろは退廃的だ」と批判した。金正日は、金英柱の自宅を「豪華で腐敗の象徴だ」と批判したうえで爆破したという。

 ただ、金英柱が権力に野心を示したことはなく「反党行為」は問われなかった。康は「金英柱は軟禁されていたわけではなく、一切公式活動をしなかっただけだろう」とも語る。

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 金英柱は93年以降、呉振宇が死去した際の国葬委員や最高人民会議代議員(国会議員)などを務め、2011年と15年には選挙で投票したことも伝えられたが、政治や経済、軍事などでの指導的な活動は一つも報じられなかった。

金正日に恨まれた継母

 また、金日成の後妻、金聖愛も、「この江界の特閣で幽閉されていたのではないか」と、鄭聖鶴は語る。金聖愛は1953年、金日成と結婚した。前妻で49年に亡くなった金正淑の長男、金正日と不仲だった。金聖愛は自分と金日成との間に生まれた金平一元駐チェコ大使を後継者にしようとして、金正日と衝突した。金聖愛は英柱に助力を頼んだこともあったが、金英柱は聞き入れなかったという。

 高英煥元韓国統一相特別補佐によれば、71年、ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が訪朝したとき、騒動が起きた。ルーマニア側は、公式行事に必ず妻のエレナ・チャウシェスクを同席させるよう強く要請した。当時のエレナはルーマニアで隠然たる権力者だったからだ。

 北朝鮮側は悩んだ。夫婦同伴の行事であれば、金日成の妻、金聖愛も同席させなければならない。しかし、金正日は当時、金聖愛の公式活動を許していなかった。金正日は結局、金聖愛の出席を認める一方、顔を撮影するなと北朝鮮メディアに命じたという。

 金日成が94年に死去した後の98年、金聖愛は朝鮮民主女性同盟委員長などの要職を解任された。金聖愛は金英柱と入れ替わるように、江界の特閣に幽閉されたのかもしれない。