73回目の終戦記念日を前に、靖国神社の遊就館に足を運び、いささか驚いた。以前に比べて、普通の外国人観光客の姿が明らかに目立ったからである。
これもインバウンドの余波だろう。あるいは、近年欧米などで流行っている「ダークツーリズム」(被災地や戦跡などを巡る旅)の影響もあるのかもしれない。
いずれにせよ、軍事博物館はけっして軍事マニアや専門家の占有物ではない。今夏も注目されるであろう靖国神社の遊就館も、諸外国の軍事博物館と比較するとまた違ってみえてくる。
海外の軍事博物館にも「靖国史観」
満洲国建国も、支那事変も、大東亜戦争もすべて正しかった――。遊就館の展示内容は日本賛美で貫かれていて、しばしば「靖国史観」と称される。
これに対し、「歴史研究の成果を反映していない」「負の側面を取り上げていない」「ナショナリズムを煽っている」と批判するのがこれまで定番となってきた。
いや、最近ではその反動で「これこそ正しい歴史観だ!」と叫ぶものも増えている。だが、ここでそういう話がしたいわけではない。
世界各国の首都中心には大抵、立派な国立の軍事博物館が鎮座している。北京の中国人民革命軍事博物館、ソウルの戦争記念館、ロンドンの帝国戦争博物館、パリの軍事博物館などがそうだ。
その展示内容をみると、程度の差こそあれ、基本的には自国賛美であり、自国中心史観である。そこでは、まるでその国が常に中心にいて、世界史を動かしているかのような錯覚を覚える。
日本人の多くはこれを見ても、「とんでもない!」と怒るわけでもなければ、「本当はそうだったのか」と目から鱗体験をするわけでもない。ただ、「まあ、そういうものだな」と納得して、軽く受け流すだろう。軍事博物館は、国威発揚と不可分の施設だからである。
このような感覚は、国内に持ち帰っても役に立つ。遊就館の「靖国史観」だって、数多ある「そういうもの」、つまり自国中心的な歴史観のひとつにすぎない。それゆえ、いちいち目くじらをたてても仕方がない――。そう達観できるのだ。
あらためて展示をみれば、「靖国史観」は、実在しない神武天皇の業績からはじまる(「展示室2 日本の武の歴史」)。これがすべてを現わしているのであって、われわれもダークツーリズム的な視点で、国威発揚の展示を観察すれば済むのである。