悪は私たちの内にある

 悪は、私たちの内にある。これは簡単に実験できる。あまり楽しいことではないが、あなた自身がこれまでの人生の中で一番すべきではなかったと思う行為を、正確に思い起こしてみてほしい。思い出したら、もしも、あなたが記憶を失ってもう一度白紙から生き直すことができたとして、その行為をせずにすませられたかどうかを、考えてみてほしい。

 いかがであろうか? まずは悪の要素を含んでいるに違いないその行為を「せずにすませられたと思う」と答えられる人は、少ないのではないだろうか? 私は、一度、講義の最中に学生たちにこの質問をしたことがあったのだが、ほとんどの学生がきまりの悪そうな表情を浮かべたのみならず、数人は、青くなって下を向いてしまった。それ以来、パブリックな場所でこの質問をすることは控えている。

 つまり、「なんじらのうち、罪なき者、まず石をなげうて」というイエスの言葉〔『ヨハネによる福音書』8章1節ないし11節〕は、疑問の余地なく正しいのである。たとえば、インターネットで、被告人やその弁護士を、あるいは自分の気に入らない人々(他者)を口を極めて非難、中傷しているような人々は、このことを少しもわかっていない。そして、そのように自覚が乏しいということは、それらの人々が、実は「悪」にきわめて近く、それに侵されやすい人々である可能性を示唆している。

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画像はイメージ ©graphica/イメージマート

 ほかにも例は挙げられる。今ではそれらの大部分は削除されていると思うが、インターネットの有害サイトが問題になり始めたころ、私は、ある文章の執筆準備のために、数時間かけて、そうしたサイトを検索、閲覧してみたことがあった。その内容を記すのは控えるが、みずからの犯罪行為を画像や動画として記録しアップロードしている例がそこそこあったのには驚いた。海外のものには、これは殺人の例ではないかと思われるものさえあった。ここには、明らかな「悪」への執着、固執がみられる。また、そのようなサイトに画像等を掲載する人間の数も、相当に多いのではないかと思われた。

「あなたの指先、液晶の一枚下には地獄がある。そして、散文的な日常のすぐ下にそうした世界のあることが、いとも簡単に確かめられる」

 そのようにいうこともできよう。

 これは、過去にほとんど例をみない、私たちの時代の特質の1つである。

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