世の中に「毒親」という言葉が広まるにつれ「子供を傷つける有害な親とは決別するべし」という価値観も当たり前のものになりつつある。しかし、親と子の関係はそれほど単純に解決できるものなのだろうか?
元裁判官の瀬木比呂志氏は「親子関係の取扱いについては、慎重かつ細心であるべき」と語りながら、一方で「大変な人たちだった」という自身の父母について、複雑な思いを吐露する。
ここでは、瀬木氏が裁判官を務めた経験から見えてきた人間の“本当の姿”について綴った『裁判官が見た人間の本性』(ちくま新書)から一部を抜粋して紹介。両親が他界し、自身の子供たちが巣立った現在、瀬木氏が親子関係について思っていることとは……。(全3回の2回目/続きを読む)
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「毒親」をめぐる見解の対立
私自身は好きな言葉ではないのだが、近年、「毒親」という言葉がよく使われる。元になったのは、『毒になる親 一生苦しむ子供』〔スーザン・フォワード著、玉置悟訳。講談社+α文庫〕だ。アメリカに多い戦闘的セラピストである著者は、子供の人生を傷付けた親とは容赦なく徹底的に対決せよ、と説く。しかし、著者が、それによって親たちに起こる反応、親どうしの関係への悪影響、また自分自身と兄弟姉妹との間に生じうる溝などの問題は考慮する必要がないとしていることには、疑問も感じる。
親からの虐待が決定的にひどいものであった場合はともかく、そうとも言い切れない大半の場合(愛とエゴが混じり合っていた場合、親にも自分でコントロールしにくい各種の精神的な問題があった場合など。後者については、水島広子『 「毒親」の正体――精神科医の診察室から』〔新潮新書参照〕)についていえば、先のような問題についてもよく考えてみることが適切だろう。
子は、みずからの人生で壁に突き当たるとしばしば親の責任を問いたくなるものだが、たとえば性格上の問題についてみると、遺伝と環境いずれの要因が大きいかといえば、多くの場合には前者なのである(ティム・スペクター著、野中香方子訳『双子の遺伝子――「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける』〔ダイヤモンド社〕、エイドリアン・レイン著、高橋洋訳『暴力の解剖学: 神経犯罪学への招待』〔紀伊國屋書店〕等)。そして、遺伝的要素についていえば、親から受け継ぐものではあっても、親に責任のあるものとはいいにくい。
