親を全面的に否定することに潜む危険

 前記の書物をも意識しつつやはりセラピストによって書かれた『不幸にする親―人生を奪われる子ども』〔ダン・ニューハース著、玉置悟訳。講談社+α文庫〕は、親との直接の対決は、してもしなくてもよいのであり、その利害得失をよく考え抜いた上で決めるべき事柄だとしている。こちらのほうが正しいと思う。

 また、親の全面的な否定は、結局、「そのような親は子どもをもつべきではなかった。その資格を欠いていた」という判断につながり、さらに、「したがって、自分は生まれてくるべき人間ではなかった。生まれてこないほうがよかった」という認識につながりかねない危険もある。

 親との関係が子の人間としてのあり方に強く影響するのは事実だから、それが問題含みであった場合には、そのことを考え抜き、正確な認識をもつことは必要だろう。また、その結果として、親ときっぱりとした距離をとる、あるいは適切なバウンダリー(心理的境界)を設ける、という選択はありうるだろう。特に、親が執拗に子を支配し続けようとする場合については、そういえる。

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 だが、親との関係の持ち方にさまざまなヴァリエーションや含みのあることは、忘れないほうがいい。カフカの書いた『父への手紙』は、結局彼の父には渡されなかったが、1つの文学作品として残されることになったその手紙によってカフカが父に対する愛憎を昇華したことは、間違いないであろう。鶴見俊輔が、「私は、母が亡くなってから、母を愛することができるようになった」と記し、あるいは語っていること、有力な政治家であった父を反面教師としつつみずからの思想を組み上げていったことなども、参考になると思う。

「人生は、この親からしか生まれられないという必然と、誰もが必ず死ぬという必然の間に架かっている『まぼろしの橋』のようなものではないだろうか」

 私は、そのように感じている。そうであるとするなら、「まぼろしの橋」の一方の橋脚ともいえる親子関係の取扱いについては、慎重かつ細心であるべきだろう。