母は、結局、牧師の資格をもつ私の妻から洗礼を受け、クリスチャンとして亡くなった。最後の時点では、彼女に入信を勧めた何人かのホームの友人に囲まれており、それは、一つの救いだったと思う。
母は、22年間の長きにわたってそのホームに暮らし、98歳になる少し前に亡くなった。ホームの副院長は、葬儀の際に、「私の子どもが生まれた時に入ってこられ、ちょうどその子が大学を出て就職した時に亡くなられた」と述懐されていた。ほぼ一世紀を生きたことになる。
今になって思うこと
今になって思い返してみると、私と父母の関係は、偶然ではあるが、先にも述べた鶴見さんとその父母との関係の「相似形」といえる部分がないではない。たとえば、「母が亡くなってから、母を愛することができるようになった」という鶴見さんの感懐については、ほぼそのまま私のものでもある。
考えてみれば、父のように能力の高い人間にとって、当然に受けられたはずの教育が受けられなくなってしまったこと、また、下町で小売商を営むというなりわいが、どれほど耐えがたい苦痛であったか、それは私にも容易に想像できる。
母についても、岩盤のように硬い生来の気質、思い込みや依存心は、自分ではどうにもならない性格のものだったに違いない。また、父とは違って、勉強はできても、一歩離れた地点から醒めた目で物事を俯瞰する能力を欠いていた母にとって、客観的な内省が非常に困難だったことも、よくわかる。
そして、私自身も、親から受け継いだ性格的な特徴やその圧迫から受けたゆがみを、今度は自分の子どもたちの上に投射していた面のあったことは、否定しにくい。自分ではわかっているつもりでいて、実は、わかっている部分は、ごく表面的なものにすぎなかった。
確かに、私は、私の親がしたように、子供を、社会を見返すための、より強い言葉を使えば1種の「復讐」のための手段にはしなかった。しかし、それは、親と違って、私にはそうする動機がなかったからというだけのこと、自己確認と自己実現の欲求にがんじがらめという側面についていえば、むしろ父以上に強かったのである。
その子どもたちもそれぞれに巣立っていった現在の私の心境を記しているのが、この文章なのだ。