12時間の肉体労働、手は高温の鉄で火傷…

――それからどうされたんでしょうか?

三浦 小学4年生まで過ごした神戸に戻りました。両親と暮らすつもりが、また海外転勤になってしまったので一人暮らしをしました。ロフト付きの小さいアパートを借りて、パチンコ店やエンジン工場などで仕事をしたんです。

 ベルリンの大学は退学してしまったので、日本だと高卒。特別な資格も持っていないからホワイトカラーの仕事は難しいと思いましたし、体を動かすことも好きだったし、社会のいろいろな側面を見たかったという理由もあって、音楽とは全く関係のない仕事を選びました。

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 一番長くいた工場では、大型バイクや四輪バギーのエンジンケースを作っていて、そこはハードな肉体労働でした。軍手を2枚重ねて、熱せられて型に流し込まれた鉄をハンマーで叩いて割る。

 1時間でこなさないといけないノルマがあったので、12時間立ちっぱなしで、昼夜交代でひたすら作業していました。それは、正直しんどかったですね。ズボンに鉄の破片がたくさん刺さったし、軍手の中に鉄が入って火傷もしました。

次の記事に続く 「人はいつ死ぬかわからない」なぜ音楽の世界に戻ってきたのか…? ピアニスト三浦謙司の人生を変えた「親友・妻・師匠」の存在