「寺内貫太郎一家」(TBS)など数々の名作でタッグを組んだ鴨下信一。名演出家が寄稿した「昭和100年の100人 文化人篇」より抜粋し、鴨下が見た素顔をお伝えする。(初出・「昭和100年の100人 文化人篇」2025年2月10日/小社刊)

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 航空機墜落事故による不慮の死から半世紀余り。向田邦子(むこうだくにこ)(1929―1981)の作品は、小説、エッセイ、テレビドラマと、今もファンを惹きつける。多くの向田作品を手がけた演出家の鴨下信一(かもしたしんいち)氏がその魅力を解剖する。

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「向田さんは昭和の大人物だと思いませんか」「いまだに作品も人柄も影響が大きいんだから、たしかにそうでしょう」「そこのところを書いてください」――こういう時、たいてい3つぐらいのことがいきなり頭に浮ぶ。あとはそれを熟させればなんとか書ける。いつも三題噺のように書いているのかといわれそうだが、今回は勝手が違った。浮んで来たのが奇妙なことだったからだ。

 最初は字で、「草莽(そうもう)」が浮んだ。なんでこんな言葉が浮んで来たのだろう。

「莽」はよく見ると、中に犬の字が入っているヘンな字で、草むらという意味らしい。犬が兎を追ってゴソゴソやっているのが草むらだから、と辞書のほうも妙な説明が書いてある。「草」は民草というくらいで、2つ併せて「民間の」となる。なんでこんな言葉を知っているのかといえば、幼少の時は戦時中で「草莽の勤皇(きんのう)の志士」といった形容が盛んに流行(はや)っていたのだ。しかし「草莽の作家」なんて聞いたことがない。

向田邦子 ©文藝春秋

 続けて、何だかグチャグチャわからないものが浮んで来た。向田さんの書いた字だ。彼女のことなら何だって思い出になるけれども、あの字はあまり思い出したくない。当人は「イヌの日に腹帯」と書いたつもりが「犬の目に眼帯」と読まれて怒っていたが、なに、本人が悪い。崩し方が我流で、いつも急(せ)かされて書くからゾンザイで、原稿は悪夢のようだった。ぜんぜん読めない。