難病の子どもたちの夢を叶える活動を行う団体「メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン オブ ジャパン」(MAWJ)。初代事務局長を務めた大野寿子さんは約3000人もの子どもたちの夢を叶え、多くの人々に慕われてきた。しかし、2024年6月、肝内胆管がんにより「余命1カ月」を宣告されてしまう。

 そんな大野さんの最期の日々に密着した感涙のノンフィクション『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)が好評発売中。

 今回は、ユーイング肉腫という難病を発症した青年の最後の夢を叶えるために、大野さんが奮闘したエピソードを抜粋して紹介する。

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「聞いたこともない病名で驚きました」

 2000年、大野寿子にとって特に印象深い依頼が入った。

 国立がん研究センター中央病院に入院している難病の子が、兄弟に会いたがっているというのだ。

 入院していたのは山形市の庄司真也である。1982年に生まれ、蔵王(現・山形明正)高校2年の夏、ユーイング肉腫と診断される。母の恵子が振りかえる。

「少し前から腰が痛いと言いだして、歩けなくなったんで、近くのクリニックで診てもらったら、山形大学医学部附属病院に行くようにって。そこで調べたら、肉腫だって。聞いたこともない病名で、ただ驚きました」

 すでにステージ4で危険な状態だった。国立がん研究センターを紹介してもらい、転院したのが10月である。恵子は山形から付きそい、最初は東京の親類の家、その後、患者家族用の宿泊施設「ファミリーハウス」に泊まっている。

「かなり厳しい状況だというのは本人もわかっていたと思います。悔しいって口にしたのを覚えています。高校の担任が好きな先生だったようで、『やっといい環境になったのに、悔しい』って」

 高校2年生である。未来は大きく開けているはずだった。「悔しい」思いをして当然である。抗がん剤治療で頭髪は完全に抜けた。

「だいぶしんどそうにしていました。大変だったと思います」

高2でユーイング肉腫と診断された庄司真也さん(遺族提供)

山形まで最低40万円はかかる特別な車

 治療の効果は上がらず、体調は悪化していく。2000年の正月も病室で迎えた。4歳上の姉と一つ違いの兄が山形からやって来て、姉兄との時間を楽しんだ。

 年明けから悪化するばかりだった体調が、2月に入って少し落ちついた。看護師が言った。

「顔色がいいから、ひょっとするとうちに帰れるかもしれませんね」

 すると真也は「かあちゃん、うちに帰りたい」と口にした。

 山形まで普通の車で移動できる体調ではない。特別な医療機器を運べる車を借りると片道最低40万円はかかる。恵子は「がんの子どもを守る会」からMAWJを紹介してもらい、電話した。寿子はすぐに病院に駆けつけ、真也に確認した。

「山形に帰りたいんだよね」

「はい。帰れるんなら、やっぱり帰りたい」

 真也ははっきりと答えた。恵子はこのやりとりを鮮明に記憶している。

「病室に入ってきた大野さんはすごい笑顔で、元気というか、エネルギッシュというか。真也はジャイアンツの松井(秀喜)選手が好きで、病室にも何かその関係のものを置いていたんです。大野さんがそれを見て、『野球が好きなんだね』って声をかけてくれて……」

 寿子は腕時計をプレゼントした。真也は「え? いいんですか」と言って相好を崩した。