実家まで帰ることができるか、時間との闘い
担当の医師によると、すでに何が起きても不思議ではない状態だ。この時期を逃せば、もう実家には帰れない。早ければ早いほどいいという。寿子は、進行中だった他のプロジェクトをいったん停止し、この帰省を最優先で進めようと決めた。時間との闘いになった。
真也は横になって、モルヒネの点滴をしながら移動する必要があった。飛行機や電車では難しい。寿子たちが調べると、神奈川県に介護用リフトカーを貸してくれる会社があった。そこで特別仕様の車をチャーターし、寿子は2月17日、病院に真也を訪ねた。
「山形に帰れるよ。明日出発ね」
「本当?」
真也が飛び跳ねるのではないかと思えるほどの声をあげた。
山形に向けて出発したのは18日の午前8時半である。
高速道路を走って山形に向かう。途中、恵子は携帯電話で実家の家族とやりとりし、真也に声をかけた。
「今、ビクターをお風呂に入れてるって。無理矢理捕まえて、入れてるって」
ビクターは真也が可愛がっていた黒ネコである。せっかく真也に会うのなら、きれいにしておいた方がいいと思い、家族が風呂に入れたようだ。恵子が回想する。
「私も家族もうれしかったんです。今、どこにいる、ここまで来たよ、あとどれくらいで着くよ、とかね。真也も楽しそうにしていました」
途中、真也もhideのファンだとわかった。寿子はインターチェンジでX JAPANのカセットテープを買い、車内で流した。このギタリストは2年前に亡くなっている。寿子は貴志真由子(以前、寿子が夢の実現を手助けした少女)との交流を思いだした。
酸素吸入マスクを付け、息も絶え絶え
福島県に入ると、雪が舞い始めた。真也が窓の外を見た。
「雪だ、雪だよ。お母さん」
サービスエリアでリフトカーの運転手が雪をかき集め、車内の真也に手渡した。雪はすぐに解けていく。真也はじっと掌の雪を見つめていた。
山形に入るとすっかり銀世界だった。
家では姉と兄が料理を作って待っていた。真也は2泊し、ビクターを抱いて、家族だけでなく高校の友人たちとも交流した。
真也は貯めていた小遣いを恵子に渡し、「これで好きなスニーカーを買って」と言った。
母にプレゼントがしたかったようだ。
かけがえのない時間は直ぐに過ぎた。帰りは(MAWJスタッフの)岡林が迎えに来た。雪の深さに驚いた。
20日に東京の病院に戻ると、真也の体調は急激に悪くなった。帰省が負担になった可能性がある。恵子は「後悔してないかい」とたずねた。真也は首を振り、「帰れてよかった。雪を見たしね」と返事をした。
24日に寿子が病院を訪ねると、真也は酸素吸入マスクを付け、息も絶え絶えである。あまりの変わりように寿子は驚いた。
そして、真也が17年半の生涯を閉じたのは翌25日午後2時だった。恵子は言う。
「病院では、山形に帰ったから体力がなくなったのかもしれないと言われました。でも、帰れて良かった。最後に家族や友人、ビクターにお別れが言えた。あのとき、帰らせてやれなかったら、私も後悔したはずです」

