門限は17時、非行は許されなかった

――日本の学校での勉強を応援してくれていた?

MOHA かなりスパルタでしたね。泣きながら自由帳に同じ漢字を100回書いたりしていました。

――ご両親は、「学問は身を助ける」という思いがあったと。

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MOHA ありましたね。道を外させたくないという思いもあったと思います。お父さんからはベルト、お母さんからはクシで叩かれて育ちました。

MOHAさん 明治大学の大学院を卒業している 写真=平松市聖/文藝春秋

――思春期の頃は差別などもあったそうですが、それで非行に走るとかグレることも難しかった?

MOHA  非行とかは絶対に許されなかったですね。まず、夜中に外に出ることが許されなかったですから。

――門限ありですか。

MOHA 門限は17時でした。17時のチャイムが鳴った後に帰ったら、もれなくベルトしばきです。

 一緒にYouTubeに出ているマゼンの家庭も同じで、中学生のころ、マゼンとうちでサッカーゲームをしていたことがあって、16時55分ぐらいに延長戦になって。それでも決まらなくてPK戦まで行って、結局17時10分ぐらいにマゼンが家に帰ったときは、盛大なビンタを受けたそうです。

 僕やマゼンの家が特別というわけではなくて、スーダンはそういう厳しい家庭が多かったですね。

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