だが、国民からは歓迎するどころか、冷ややかな声ばかりが伝わってくる。「生活するのに精一杯で、結婚したり子どもを産んだりする余裕はない」「子どもを育てる費用があまりにもかかりすぎる」「もうこれ以上、政府に指図されたくない」などといったものだ。私も報道を通じて、政府の方針転換に反感を抱く中国人の姿を見てきたが、なぜこれほどまでに支持されないのか、背景には彼らのどんな思いがあるのかと考えてきた。そんな折、私は東京都内で、中国の農村出身の女性と会う機会があった。
その女性とは昨年夏、共通の友人を通じて知り合い、壮絶な彼女の半生や、同じような境遇にある農村の人々についてまとめた文章を送ってもらったことがあったが、今回、改めて、彼女自身の体験や「一人っ子政策」の最中に2番目の子どもである彼女を産んだ母親や家庭環境などについて話を聞かせてもらった。
農村出身女性が語る「壮絶な過去」
彼女が語る幼い頃の記憶は、「一人っ子政策」がいかに人権を無視した非道なものだったのかを物語っている。当時、農村部では似たような経験をした中国人は大勢いたはずで、そのときの辛い経験が、世代は異なるものの、今の政府の方針に対する若者の「冷ややかな目線」にもつながっているのではないかと感じている。以下、私が聞かせてもらった、実際に中国の農村部で起きた悲惨な出来事を紹介したい。
周さんは1989年、内陸部にある湖南省の農村部で生まれた。貧しい村で、両親は1966年と1964年生まれ。周さんが幼い頃、集落の人々は井戸水を使い、電気も通っていなかった。家はコメや野菜、鶏や豚を育てる農家をしていて、父親は遠方にある建設現場に出稼ぎに行っていた。
周さんは3人きょうだいの2番目。上は姉で86年生まれ、弟は91年生まれだ。周さんのお姉さんが生まれたのは、一人っ子政策が実施されて7年目。都市、農村にかかわらず、当時の中国では、全国津々浦々に一人っ子政策を礼賛するスローガンが掲げられており、例外を除いて、2人以上の子どもを産んではいけないと政府から強い通達があった。例外とは農村部で1人目が女児だった場合、少数民族の場合、一人っ子同士の結婚の場合などだが、とくに農村部の場合は地方によって実施時期や規制の強弱が異なり、全国一律ではない。