罰金だけでなく、家を叩き壊された

農村ではどこも働き手となる子ども、とくに跡継ぎである男児を望む伝統があり、周さんの家も同様だった。周さんの両親も2人目を望み、周さんが生まれたが、母親は発覚を恐れ、周さんを親戚の家に預けて、夫と2人で一時遠方に身を隠していた。だが、結局見つかってしまい、罰金を支払った。金額は不明だが、農民にとっては莫大な金額であり、借金をして払うしかなかった。

だが、周辺の家と同様、周さんの両親は男児を諦めきれず、3人目である周さんの弟を出産した。そのときは罰金だけでなく、地方政府の役人が家に来て、家を叩き壊すという暴挙に出た。周さんは言う。

「突然やってきて、数人で家を壊していったそうです。すべて壊したら住むところがなくなってしまうので、実際は半壊くらいだったらしいですが、あまりにもひどすぎます。近所の家でも、家を壊されたそうです。罰金が払えない家では、女の子を里子に出すこともよくあり、実は私自身も同じ経験をしました」

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麻袋に入れられ、捨てられかけた夜

周さんの記憶では、弟が生まれたあと、2~3歳だった真冬の寒い夜、父親が周さんを麻袋に入れて、悲しそうな目で周さんをじっと見つめていた。幼かった周さんには意味がわからなかったが、本能的に危機を感じたのか、父親に向かって精一杯の笑顔を見せた。だが、両親はこれ以上育てられないと考え、周さんを村役場の入り口に置きに行った。誰かに拾ってもらって大切に育ててもらおうと思ったのだ。

両親は物陰に隠れてしばらく様子をうかがっていたが、何時間経っても誰も現れなかった。両親は娘を放置することが忍びなく、家に連れて帰ったという。その日は春節の最後の晩。中国の伝統で、一家団欒で過ごす大切な日だったので、誰も外を歩いているはずはないのだが、切羽詰まった両親はその日であることに気がつかなかった。

その後、周さんは中学を卒業し、中学1年のときに出稼ぎに行った姉が学費を出してくれてパソコンの専門学校に通い、深圳で就職。日本語学校に通いながら夜間は日本料理店で働いた。苦労の末、自考(日本の大検に相当)を受験して中国の大学に進学。それから来日し、日本の大学院まで修了して、現在は日本で働いている。周さんの並々ならぬ努力の結果だが、周さんによると、周囲の人々の中には、「一人っ子政策」に翻弄され、人生を台なしにされた人が大勢いた。周さんの親戚の子どもは里子に出され、養父母に大切に育てられたが、もともとの家族はバラバラになってしまった。