第2次世界大戦の終結後、日本は6年半ほどにわたってアメリカを中心とするGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって占領された。この時期、日本に来たアメリカ人が数多くのカラー写真を撮影している。

 終戦直後の風景や復興に励む人たちをカラーで写した写真からは、「歴史」からこぼれた生活や戦争の爪痕が多数写っている。フィルム資料研究家である衣川太一氏が、収集した当時の写真を編集してまとめた『占領下の日本 カラーフィルム写真集』(草思社)の一部を抜粋し、アメリカ人の視点から見た当時の日本の様子を紹介する。(全2回の1回目/続きを読む

銀座通り沿いにある、接収されて丸ごと占領軍専用売店(PX = Post Exchange)となった松屋銀座店。カメラなどの日本製品も無税で買うことができた(1950~51年、ベンジャミン・ゴールドバーグ撮影)

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 本書に掲載したカラー写真はすべて、アメリカのフィルムメーカーであるコダック社のコダクロームというカラーリバーサルフィルムで撮影されたものである。つまり、白黒写真に色を付けたのではなく、最初からカラー写真として撮影されたものである。

 リバーサルフィルムとは、ネガフィルムのように濃淡や色が反転した画像(陰画)が記録されているのではなく、撮影した画がそのままの状態で見られるようになっている(陽画)もので、主にスライドプロジェクターを用いてスクリーンに投影して鑑賞するために、スライドフィルムとも呼ばれる。これらの写真は撮影された時にカメラの中に入っていたフィルムから直接スキャンしたものであるため、ご覧いただくように非常に画質が良い。

日比谷のGHQ前に停車する、5つ星の元帥章をつけたマッカーサーの専用車である、1942年キャディラック・フリートウッド72・リムジン。映画カメラを構えた米軍人や「出待ち」をする人々が見える(1949~50年に撮影、撮影者不明)

 コダック社は1935年にコダクローム16mm映画フィルムを、翌年には写真用35mmフィルムと8mm映画フィルムを発売した。このようにコダクロームは最初からアマチュア向けに開発された製品であった。非常に複雑な現像方法を用いていたために褪色する傾向が強かったが、1938年に現像方法が変更されると長期間の耐褪色性を獲得し、今なお当時の色を保ち続けているフィルムが多く見いだされる。

 日本でも1937年に大阪に16mm・8mm映画用のコダクローム現像所が設置され国内でのフィルム販売も開始されたが、同年に勃発した日中戦争に伴って経済統制が始まり、年末にはフィルムそのものが輸入できなくなった。短い期間であったが、戦前の日本でもカラーで動画を撮影することは可能であり、多くはないものの比較的まとまった数のフィルムが現存している。しかしながら改良前の現像処方だったためにすべて赤く褪色している。本書で扱う占領期写真は改良後のものである。

マッカーサーに敬礼する女性軍人、皇居前では占領軍のパレードが

 空襲で焼け残っためぼしいビルは接収され、占領軍の各種施設に利用された。連合国軍総司令部(GHQ)として知られる日比谷の第一生命館のような軍機構のためのオフィスビルにとどまらず、百貨店や劇場、ビヤホールなども接収され、占領軍人とその家族の福利厚生に供された。

第一生命館を退出するマッカーサーに敬礼する女性軍人(1949~50 年に撮影、撮影者不明)
皇居前広場でのパレードに備え、桜田門で待機する第一騎兵師団のM24軽戦車。皇居とGHQの間に位置する皇居前広場では、占領軍のパレードが頻繁に行われた(1946~52年、ヘンリー・H・ソウレン撮影)
次の記事に続く 〈写真多数〉立ち食いそばをおいしそうに食べるGHQ、銀座には今では信じられないような露天商の姿が…米兵たちが撮影した“貴重カラー写真”から見える「占領下の日本」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。