AI技術の影響などで電力需要が高まり、1月21日には新潟県の東京電力柏崎刈羽原発六号機が14年ぶりに再稼働した。

 元大成建設会長の山内隆司氏(79)は、福島第一原発の事故処理に奔走する一方、原発再稼働にも取り組んできた。震災から4年後の2015年8月、九州電力川内原発一号機が再稼働に漕ぎつけた背景について、ノンフィクション作家の森功氏が山内氏に聞いた。

◆◆◆

ADVERTISEMENT

原発反対運動のウラ側

 ――原発再稼働への協力は大成建設トップとしての判断か。迷いはなかったか。

「地元の薩摩川内市に挨拶に行きました。すると、地元の人は『地元は仕事がなくて困っている。クリーニング屋から飲食店まで街は火が消えたような状態だ』とこぼしていました。話を終えて役所を出ると、玄関先に『川内原発再稼働反対』とスローガンの書かれたプラカードを持った連中が待ち構えている。それをやり過ごして九州電力の人といっしょに車に乗り込みました。車中で『やっぱり地元が賛成してくれないとやりにくいんですよね』と九電の人に不服を唱えたら、彼らは『あそこでプラカード持って運動している中に、地元の人間はほとんどいないのです。市外から出稼ぎでやって来て反対運動をしているだけだから、地元の反対ではありません』と言う。そんなものか、と思いながら、やはり戸惑いました。原発問題は政治の党利党略が入ってくるので、建設会社独自の判断がつきません。まして当時の風潮は脱原発一色ですから、さほど踏み込むわけにはいかない。といって、いったん引き受けた以上、『できませんでした』なんて投げ出せません。それで関係者で再稼働を検討する勉強会を設ける形にし、こちらから職員を派遣しました。ですが、再稼働のカベは高かった」

九州電力川内原発一号機再稼働を前に、発電所(奥)の正面ゲート前で抗議活動をする人ら(2015年8月、鹿児島県薩摩川内市) ©時事通信社

 もともと原発を所管する経産省では、推進する外局の資源エネルギー庁の特別機関として規制する原子力安全・保安院を置いてきた。そのため監視機能が働かず、エネ庁と電力会社との癒着も批判された。過去の反省から事故の翌2012年4月、原子力規制委員会設置法案が国会に提出され、環境省の外局として原子力規制委員会が設置された。