司馬遼太郎が文藝春秋に連載した随筆『この国のかたち』。没後30年を迎えた今、歴史学者の磯田道史氏が、その魅力を語った。

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「司馬遼太郎の絶筆」の裏テーマ

 司馬遼太郎さんの『この国のかたち』は、この国に大きく響いた随筆です。大蔵省を財務省に変えた省庁再編時も時の首相が「この国のかたち」を変えるといい、野党もその首相の不信任案で「21世紀の『この国のかたち』という言葉とは裏腹に」と批判しました。もともとこの連載は「文藝春秋」の「巻頭随筆」で1986年3月号から96年4月号まで10年に亘って書かれたものです。司馬さんは96年の2月9日に第121回の原稿を書き終えた後に吐血し、3日後に72歳で急逝されたので、『この国のかたち』が絶筆です。

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司馬遼太郎(1923~1996) Ⓒ文藝春秋

 司馬さんはこの連載で、日本はどのような国なのかを様々なテーマで探っています。信長・秀吉・家康から神道や朱子学、仏教、統帥権までテーマは多彩ですが、裏には一貫したテーマがあります。敗戦時に司馬さんは嘆きました。そして、こう決意しました。この国を再び誤らせないためにこの国を調べて書こう、と。『この国のかたち』第1巻の「あとがき」に次のように書かれています。

 終戦の放送をきいたあと、なんとおろかな国にうまれたことかとおもった。


(むかしは、そうではなかったのではないか)


 と、おもったりした。むかしというのは、鎌倉のころやら、室町、戦国のころのことである。


 やがて、ごくあたらしい江戸期や明治時代のことなども考えた。いくら考えても、昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭(か)けものにして賭場(とば)にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようにはおもえなかった。


 ほどなく復員し、戦後の社会のなかで塵(ちり)にまみれてすごすうち、思い立って三十代で小説を書いた。


 当初は、自分自身の娯(たの)しみとして書いたものの、そのうち調べ物をして書くようになったのは、右にふれた疑問を自分自身で明かしたかったのである。


 いわば、二十二歳の自分への手紙を書き送るようにして書いた。