男が母と口論の末、火をつけた
忘れもしません、1996年6月のことです。下川町の実家が放火に遭い、母が全身火傷で病院に担ぎ込まれたのです。その時は何とか一命を取り留めたのですが、火傷は全身の70%にも及んで、炎の熱で肺も気管も焼けてしまいました。喉に穴を開けて、化膿した部分を吸い出す必要もあり、会話もしばらくはできなかった。
放火犯については姉から全て聞きました。母は当時、父とは別れて暮らしていて、同じ職場の調理師と生活していました。その男が母と口論の末、火をつけたとのことでした。男とは何度か挨拶程度はしたことがありましたけど……憎みましたね。
母はその後、皮膚移植を繰り返しましたが、容態は良くならなかった。最後はもう意識が戻る可能性は限りなくゼロに近いという時に、僕たちのほうから「人工呼吸器を止めて下さい」と言いました。1997年5月、母は47年間の短い生涯を終えました。
後から母が入院中に書いた日記が出てきたのですが、姉に「日記だけはお前が持ってろ」と言われて、ページを捲ってみたんです。ペンもちゃんと持てない中で懸命に字を書いていたのが伝わってきた。死の恐怖とずっと必死に闘っていたことが分かりました。
亡き母からの励ましの手紙
放火に遭う前、調子を落としていた僕に、母から励ましの手紙が届いたことがありました。そこには「今この時を頑張れ。絶対にお前は世界一になれる。お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ」と綴られていた。この手紙を読むと、何か大きな力をもらえるんです。
いつも僕を支えてくれた母のためにも、長野五輪では何が何でも金メダルを獲りたかった。時にはその母の手紙を読み返しながら、必死で練習を重ねました。
