ミラノ・コルティナ冬季五輪でも大活躍だった日本人選手たち。これまでの冬季五輪でも、多くの“レジェンド選手”が存在した。

 コメも買えないほど貧乏だった幼少時代。挫折続きの人生、でも決して負けなかったというレジェンド・葛西紀明選手(53)。7大会連続五輪で銀メダルを獲得したソチ冬季五輪当時の手記をあらためて公開します。(全2回の2回目/前編から続く)

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難病の妹は「死にたい…」と漏らした

 姉から電話で連絡を受け、すぐに病院に駆けつけました。骨髄移植が必要だというので、家族全員で血液検査をしたところ、僕も姉も妹の型とは適合しませんでしたが、母が最も妹と型が近かった。でも「慢性蕁麻疹(じんましん)を持っているので移植は無理」と言われ、その時点では10万人に1人という骨髄ドナーを待つしかなかったのです。

葛西紀明選手(2014年ソチ五輪) ©︎JMPA

 妹は無菌室での生活になり、血液を入れ替えて、放射線を浴びて……本当に辛い闘病生活だったと思います。しばらく経ってから臍帯血(さいたいけつ)移植に成功しましたが、お見舞いに行っても、無菌室の前に立って、インターホン越しに話すだけです。「死にたい……」とポツリ漏らす妹に、「大丈夫だ。頑張って生きよう」としか言えなかった。

 僕にできることは、五輪で活躍する姿を妹に見せることだけ。妹には「金メダルを煎じて飲ませてやる」と伝えて、リレハンメルに乗り込みました。実際、ジャンプの調子も上がり、特に団体は絶対に金を獲れるという自信があった。

 ところが、最終ジャンパーの原田(雅彦)さんが失速し、まさかの銀メダルに終わった。その瞬間は、ショックで茫然自失になりました。頭を抱える原田さんには「メダル獲れたよ」と声をかけましたが、とても喜べるような雰囲気ではありませんでした。

 帰国すると、入院先から一時外出の許可を得ていた妹が新千歳空港まで迎えに来てくれました。誰にも触らせずにおいた銀メダルを「元気になってくれ」と思いを込めて、最初に触らせてあげたんです。でも、逆に「ありがとう、次は金だよ」と励まされた。病気の妹に比べれば、自分は何も辛いことはないんだ――妹の言葉を支えに、4年後の長野五輪に向けて気持ちを奮い立たせました。