さて、実際に猟でクマと相対していた猟師自身の手による記録のほか、著者が数多の人々からクマとの記憶を聞き、書き残した種類の文章はまた異なった趣で興味深い。私が面白く拝読したのが『日高の動物記』『大雪山の動物記』『阿寒の動物記』(すべて桑原康彰)だ。
身近な動物についてをメインに、地域の猟師はもちろん、農家や一般の人などから体験談、または伝承を聞き取り、記録した作品群である。
もちろんクマに関する話はかなり多く、その中には思わず「まじで」と素になって呟いてしまうような話も満載である。
例えば、『大雪山の動物記』に収録されている「5歳の男児、大グマを獲る」という記録だ。茅葺きの粗末な開拓小屋で幼児が留守番をしていたところ、家にクマが入ってきたため、親からかねてより「囲炉裏の灰を目めがけてかけるんだよ」と教わっていたことを実践したら、クマが逃げ出したのだという。
実際には男児はクマを獲った訳ではなく単に撃退しただけで、しかも大グマかどうかは幼児にしか分からない。にもかかわらず、誇張を含めたタイトルは人の興味を確実に惹くし、家に侵入した恐ろしい獣に対し、5歳児が冷静に親からの言いつけを実践し、結果生き延びることができた、という内容はそれだけで十分驚きに足る。
こんなふうに、西暦、元号は何年、という表記のないまま「昔」「いつだったか」「開拓の時代に」「知り合いから聞いた話」という言葉から始まる伝承の数々は、実際にあったことなのか、誇張はないか、という現実的な疑いを超えて、実に魅力的だ。
事実に忠実か、信用に足るか、一次資料として有効か、という問いは、ひとまず横に置いておく。ここで注目すべきは、「人に語りたくなる」「面白い、さらに語り継ぎたくなる」と思えるクマの情報だ。時に残酷で、時にユーモラスで、人には決して御しきれない巨大な獣。それはクマの実相からは多少のぶれは生じているのかもしれないが、イメージとして人の脳裏に残りやすい形へと変化しつつ、語り継がれてクマへの恐怖と少しの親しみを今に伝える。
