もちろん冒頭で綴った恐怖は、私の中にもある。直接襲われた経験はなくとも、クマが地続きの場所、しかも割と近所に生息しているという事実は、山菜取りや迷い牛を探しに森に入る時、いつも私に緊張を強いてきた。私は信仰心が強くない人間だが、何かを恐れ、同時に畏怖する対象として最初に挙げられるのはなんだろう、と思えば、遭難したら死ぬ可能性のある山林、そしてクマである。

 私は手掛けた小説でクマを幾度となく登場させてきた。興味や執筆のために北海道の歴史を調べていくと、様々な記録でクマが必ずと言っていいほど取り上げられており、自然とクマの存在感に敬服していたからだ。私が参考にしたクマの資料は公的、私的問わず、出没の記録、作物、家畜、人的被害。そしてそれらを狩った記録などだ。

画・西川真以子

 昨年、人里でのクマの出没や痛ましい事故の報道が相次いだ。そのことに対する考えは人それぞれだが、しばしば聞かれたのが「もともとクマがいるところに人間が住み着いたのだ、だからクマに優先権がある」というものだ。開発が進みきり、むしろ離農や耕作放棄地が増えて人里が野山に戻っていく様を目の当たりにしている地方民としては、こういった言説には首をかしげざるを得ない。

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 その一方で、開拓途中の北海道はまさにその「クマがいるところに人間が住み着」こうとする真っ最中であったことが多い。開拓の苦労話の一端として、クマのことが大いに語られるのは実にもっともなことだ。

 その中でさらに、猟師としてクマを追っていた人たちの記録は生々しく、読んでいるだけで手に汗を握る。『羆吼ゆる山』(今野保)、『ヒグマとの戦い』『北海の狩猟者』(ともに西村武重)など、私が愛読書としてきた記録の中では、現代のような高精度のスコープや破壊力の大きいライフルなどない時代にクマを追った記録が綴られている。

 著者たちは他に生業があり、決して文筆で生活していた訳ではなかったようだが、その描写は冷静で、的確で、読んでいるだけで経験したことのないクマ撃ちの世界に読者を引きずり込んでくれる。もちろん生来の文才もあるのだろうが、それだけではなく、いかに目に映るものを観察し、クマについて研究し、己がどう生命と向き合うのかと常に磨いてきた軸がなければ、それらを言語化したところで後世の我々までは響かない。先達がこうして文章を残してくれたこと、それを今でも読む機会に恵まれたことに、感謝を捧げずにはいられない。