大阪万博が飛躍への転機に

 飛躍への転機となったのが、1970年に大阪府で開かれた万国博覧会だった。同社は大阪万博でアメリカ館の巨大テントの建築を受注することに成功。支柱を使わずに空気圧で約60トンもの膜面(アポロ計画で開発したガラス繊維製)を押し上げる、世界初の大型エアドームの施工に携わった。結局、同社は万博パビリオンのテントの約9割を建設することになる。

来場者であふれかえる1970年の大阪万博 ©文藝春秋

 この万博での成功は大きなインパクトがあり、同社は膜構造建築物の設計・施工会社として広く認知されることになった。

 しかし、膜構造建築物は利用期間の短い仮設建築では認められていても、恒久建築物としては認められていなかった。恒久建築物として認められるには建築基準法の改正が必要であったが、龍太郎は粘り強く官庁に働きかけて改正を実現させた。そして1988年に、同社が屋根部分を担当した東京ドームが完成するのである。

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 東京ドームは膜構造建築物のイメージを劇的に変えた。膜構造建築物は単なるテントではなく、恒久建築物として広く認知されることになり、同社はトップ企業としての地位を確かなものにした。

太陽工業の会社データ(『世界シェアNo.1のすごい日本企業』より)

 膜の材料はさまざまだが、膜には伸縮性があり、条件によって伸びたり縮んだりする。その特性を計算しながら、設計通りに建築物の形状やサイズを施工するのは難しい。だが、同社は技術研究所を持ち、膜材などの研究開発を行っている。技術研究所を持つのは同業他社にない強みであり、他社の追随を許さない。

ビッグプロジェクトを次々受注

 東京ドームによって膜構造建築物のよさが世間に伝わると一気に事業が拡大した。国内では関西国際空港の旅客ターミナル(1993年)や、西武ドーム(1999年)などの膜構造の設計・施工を請け負った。

 また、海外では、アトランタ夏季五輪の中心施設であったジョージアドーム(1992年)や、ロッキー山脈の形状をイメージしたデンバー国際空港(1994年)などを手がけた。

 その後も世界各地で設計・施工に携わったが、最近ではパリ五輪の施設を手がけている。なかでもテニス競技施設スタッド・ローラン・ギャロスにあるコート・スザンヌ・ランランは1万人収容のテニスコートで、センターコートに続いて2番目の収容人数を誇る。完成したのは1994年だが、雨天時にも使用可能な全天候型施設に改修するにあたりフランステニス連盟(FFT)から開閉式膜屋根の施工を受注し、2024年に完工。五輪前の全仏オープンにも使用された。