ジャニーズを離れ…仕事激減の10年
田原に言わせれば、発言したことに後悔がまったくなかったわけではないが、それでもマスコミに一矢報いることができ、すっきりとした気持ちのほうが強かった。会見で媚びなかったのも、家族を守るため、そして自由を得るためには絶対に必要だったという。著書では次のようにつづっている。
《何かを得るためには、その代償として何かを手放さなくてはならない時がある。僕にとって自由に対する代償はとても大きなものだったけれど、今でもあの時の選択は間違いではなかったと思いたい。不器用だと笑われてしまうかもしれないけれど、僕は自分を偽ってまでマスコミの言いなりにはなりたくなかっただけなのだ》(田原俊彦『職業=田原俊彦』ロングセラーズ、2009年)
「代償」というのは、「ビッグ発言」によりバッシングを受けたうえ、それまで年間40~50本近くあったコンサートが数本にまで減るなど、仕事が激減したことを指す。テレビのレギュラーもなくなった。折しも、デビュー以来所属したジャニーズ事務所(当時)から独立に踏み切った時期とたまたま重なり、逆風のなかで新たなスタートを切らざるをえなかった。
独立後にテレビの仕事が一時なくなった一因には、局側のジャニーズ事務所に対する忖度もあったようだ。ただ、田原としては事務所には独立したいとの意思を事前に伝え、交渉もしたうえで退所しており、社長のジャニー喜多川から引き止められるということもなかったという。それでも独立後、ジャニーズの後輩との共演はなく、見えない圧力はあったらしい。これについて彼は《どこの組織だって出て行った人間を邪魔はしないにしても、応援はできない。(中略)僕もそうだとわかっていた。大変だった時期のことをジャニーズのせいにするつもりは毛頭ありません。結果、色々な経験が僕の血となり、肉となりましたから》と語っている(『週刊文春』2019年5月2・9日号)。
苦境は10年以上続き、《もう赤字の連続だったけど、やり続けるしかないみたいな(笑)》、《貯金を取り崩したよ。でも逃げるわけにいかないじゃない。いまさら違う仕事もできないしね》と踏ん張り(『週刊新潮』2025年9月4日号)、コンサートやディナーショーを1年も欠かさず続け、CDもコンスタントに出してきた。
