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「学校の風紀が乱れる」と転校処分…さらに過激な役に挑戦
まだ15歳だった原田のヌードが宣伝のため、雑誌などに掲載された。学校では机の引き出しにヌード写真の切り抜きが入れられ、教室の隅で泣いたこともあった。その上、担任教師に「こういうことをされると学校の風紀が乱れます」と告げられて転校を余儀なくされる。その一方で、原田は多くの大人たちが泥まみれになりながら一つの目標に向かって取り組む映画づくりに魅了されていた。
続いて原田は、巨匠・増村保造監督の『大地の子守歌』(1976年)の主人公に抜擢される。昭和初期の四国を舞台に、過酷な運命を生きる少女娼婦の姿を描いた作品だ。
増村は「もっと強く、もっと激しく、もっと哀しく」と何度も言いながら1カットにつき30回もリハーサルを繰り返し、徹底的に演技指導を行った。それに応えた原田は、強烈な自我を持ち、荒々しく、口より先に手が出る野性的な少女を熱演した。上半身裸で手を吊るされ、集団で折檻される場面も果敢に演じている。
当時16歳だった原田に厳しく接しつつも常に大人扱いしていた増村は、その後も原田の仕事ぶりをずっと心配していたという。増村の葬儀の日に夫人からそのことを伝えられた原田は、涙が止まらなかった。原田は「増村さんと出会わなければ俳優をやめていたかもしれません」と述懐している(『文藝春秋』2022年10月号)。