「恋人になりたかった」松田優作との再会
一方で自分を賞賛する大人たちが、もう一方で容赦なく好奇の目を向けてくる。まだ10代だった原田は心を閉ざした。エッセイでこう記している。
「十八、十九は私の人生の中で最も暗く、憂うつな時期だった。ごく少数の、決して自分を傷つけない友達とだけ口をきき、他の人は皆、敵に見えた」(『あなたがそこにいるから』扶桑社)
仕事は増えたが、面白いと思えるものは少なかった。ある映画賞の授賞式では「私のような子どもが受賞するのだから、他の人も頑張ってください。みんなが頑張れば映画はもっと面白くなります」と言い放った。面白いと思えるものがないなら自分で作ればいいと、20歳の頃に製作と脚本と主演を務めた『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』(1980年)は不入りに終わり、挫折を味わった。
心の支えになったのは、数少ない仲間たちだ。ドラマ『北の国から』(1981年)で共演した松田美由紀とは親友になった。彼女を介して再び出会ったのが、松田優作である(もちろん、彼らの息子、龍平とも幼い頃から何度となく会っている)。
9歳年上の松田優作は、どんなときでも必ず真面目に話を聞き、真剣に考え、原田が弱音を吐くと厳しく叱り飛ばした。だから松田のまわりには人が集まった。原田は「当時、男も女も関係なく、関わる人が優作さんの恋人になりたかった」と振り返っている(スポーツ報知 2020年2月3日)。
大人たちに背を向け、若くして映画プロデューサーになり、「刹那」というペンネームで脚本も発表していた原田は、一種のカルチャーアイコンになっていたが、満足のいく作品は少なかった。原田がキャリアを再び上向きにできたのは、黒澤明の大作『乱』での演技が高い評価を得たことだ。共演を機に目をかけられ、ヌード写真集まで撮影した勝新太郎の紹介で出演が決まった。