「山﨑さんの脚本を何度か読むうちに、自分には書けない内容でありながら、深く感情移入できる部分があると感じ、挑戦を決めました。駅のホームを貸し切ったり、エキストラを集めたりと、自主制作としてはかなり無茶なこともしましたが、仲間の支えがあって完成させることができました。2020年には海外の映画祭で賞をいただくこともできましたが、その後私が2年にわたってミャンマーで拘束されたことで、今回ようやく日本での公開にこぎつけました」
ミャンマーでの拘束、2年間に及ぶ過酷な監獄生活
2021年2月のミャンマーでの軍事クーデター後、ティンダン監督は現地のデモを取材し、日本へ情報を発信していたが、それが軍当局の目に留まることとなった。
「当局が僕を探しているという情報は事前に耳に入っていましたが、逃げ切ることはできませんでした。ホテルに踏み込まれ、そのまま連行されました。罪状は『反政府活動』。そこから始まったのは、想像を絶する過酷な日々でした」
尋問は熾烈を極め、目隠しをされた状態で棒による殴打などの拷問を受けた。
「手錠をかけられたまま、殴る蹴るの暴行を受けました。特に足を集中的に棒で殴られ、数日後には足が紫色に腫れ上がり、内出血でひどい状態でした。隣の独房にいた若い男の子は、顎が外れて一晩中うめき声を上げていました。何もできない自分も辛かったですし、いつ終わるかわからない恐怖が常にありました」
過酷な刑務所生活の中で、やはりミャンマーで取材中に当局に拘束された、ジャーナリストの北角裕樹氏やドキュメンタリー映像作家の久保田徹氏に会った。
「刑務所の中で久保田さんの通訳をしました。拘束のニュースを知って、所長に直談判し、通訳になりたいと懇願したんです。刑務所はワイロを渡さないとまともに生きられないような場所ですから、それなりの方法で交渉を重ねて。結果、少しは久保田さんの手助けをすることができたかなと思います」

