4か月の取材期間で連絡がとれたご遺族は、32人。しかしそのほとんどの反応は、「どうして今更。思い出させないで」「その話はもう聞きたくない」という非常に厳しいものだった。
「もし、あの時…」後悔を背負い続ける遺族
しかし、そうした中でも、取材に応じてくれた方々がいた。
3階のマージャンゲーム店の従業員だった井上正仁さん(当時30歳)は京都で生まれ育ち、「俳優になりたい」という夢を追って、高校卒業と同時に上京。俳優が主宰する劇団に所属し、CMやドラマなど、活動の場を少しずつ広げていた。生活費を工面するため、新聞配達や百貨店での配送業務、警備員、マージャンゲーム店の従業員など、複数のアルバイトをしていたという。
父親の正さん(84)が今も大切にしているのは、正仁さんから届いたメッセージカード。アルバイト先の百貨店の包装紙できれいに包まれたお菓子が時折実家に届き、そこには毎回、手書きのメッセージが添えられていた。「必ずビッグになる」。まっすぐに夢を目指す息子の姿が誇らしかったと、正さんは当時を振り返る。
「会ってもらいたい女性がいるから、今度、連れて帰る」。息子からの電話に、正さんと妻は胸を膨らませた。2人分の布団を準備して帰りを待っていたものの、正仁さんから「仕事の都合で、どうしても帰れなくなった」という連絡が入り、夫婦は肩を落とした。
そしてある時期を境に、正仁さんは電話にも出なくなった。正さんは心配しながらも、自身の体調が悪く、様子を見に東京へ行くことは叶わなかった。息子はきっと元気でやっているはずだと、信じるしかなかった。
正仁さんは、上京して以来、一度も故郷に戻れないまま、帰らぬ人となった。
正さんが、遺品整理のために正仁さんのアパートを訪れたとき、ポストは郵便物であふれ返っていたという。アルバイト先などで寝泊まりするような生活を送っていたのかもしれなかった。部屋の中には、著名な俳優が名を連ねる映画の台本が1冊、残されていた。
息子が電話に出なくなったのは、何か都合の悪いことでもあったのか。道半ばだった俳優業はどのような状況だったのか。あの時もし東京に行って確かめることができていたら、息子が命を落とすことはなかったかもしれない。その後悔は一生背負っていくものだと、正さんは静かに語った。





