「お母さんは火事で死んじゃったんだよ」と…
ビル4階の飲食店に勤めていた多田千帆さん(当時23歳)。新潟・佐渡で生まれ育ち、18歳のときに結婚。その後、長女を出産した。幼い頃から猫が好きで、動物病院で働きたいという夢をもっていた千帆さん。専門学校への進学を目指し、家族3人で東京へと移り住んだ。しかし東京での暮らしは決して楽ではなく、夫ともすれ違うことが増え、別居。千帆さんは幼い娘をひとりで育てながら、歌舞伎町で働くようになった。
千帆さんの娘・香織さん(仮名・29歳)が話を聞かせてくれた。捨て猫を見つけてはアパートに連れて帰って育てていた母の姿、香織さんが寝ている布団の中に猫たちが入ってきたぬくもりが、今も記憶に残っているという。千帆さんが亡くなったとき、香織さんは4歳。周囲の大人から「お母さんは火事で死んじゃったんだよ」と聞かされて育った。歌舞伎町というのも耳にしていたが、具体的に母がどういった経緯で、どのような亡くなり方をしたのかまでは知らなかった。「どうして私には、母も父もいないんだろう」と精神的に苦しくなった時期もあった。
みずから調べようと心に決めたのは20歳を過ぎたころ。「44人が亡くなった火災」というのを手がかりに調べると、すぐにヒットした。母が働いていたのは、女性が接客する夜間営業の飲食店だったことを知るとともに、“防火扉”や“一酸化炭素中毒”など、初めて触れる言葉の数々があった。たったひとりで幼い子どもを育てながら夢を追い、少しでも早く必要なお金を得ようとしたらそうなるだろうなと、納得する自分がいた。一方で、母の仕事やその亡くなり方については、誰にも知られたくないという思いもわきあがり、亡き母への思いは揺れ動いた。
今、香織さんも、2人の子どもを育てる母親となった。子育てをしながらお金を稼ぐ大変さは身に染みているという。
「母なりに当時、一生懸命だったことはわかる。どんな仕事であったとしても、育ててくれたことには感謝したい。自分が親になり、そう思えるようになった」。そう語る香織さんの声には、芯の強さが感じられた。




