現在、約200万人が暮らす北海道の中心都市・札幌市。花見の名所として知られる円山公園付近も、開拓時代には原生林が広がり、そこには恐ろしい“人喰いグマ”が生息していた。

 1878年(明治11年)1月、猟師がヒグマの冬眠を妨げたことから悲劇は始まる。手負いで空腹状態のヒグマは市街地へ向かい、深夜の簡素な小屋を急襲。両親の目の前で、幼い赤子が無惨にも食い殺されてしまったというが、その実情とは……。

 別冊宝島編集部編『超危険! 最恐クマのすべて』(宝島社)の一部を抜粋し、発展途上の札幌を恐怖のどん底に陥れた事件の全貌を紹介する。

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眠りを妨げられたヒグマの逆襲

 今日では北海道の中心都市として発展した札幌市だが、開拓時代には原生林が多く残り、市街地を少しでも出ればすぐにヒグマが生息するような場所だった。ここで取り上げるのは、札幌に開拓民が定住し始めてからまだ間もない時代、現在の札幌中心部にあたる「札幌区」の人口がまだ、3000人足らずの頃に起きたクマ被害である。

 舞台となったのは、札幌市街地にほど近い、標高225mの円山だ。現在では北海道神宮が置かれ、花見の名所としても知られる市民の憩いの公園となっている。そんな場所もかつては、人間を恐怖させる人食いグマが生息する地だったのである。

 最初の事件は1878年1月11日に起きた。きっかけは、札幌在住の猟師によるクマ狩りだった。円山で冬眠中のヒグマを見つけたのである。北海道の開拓民にとって、ヒグマの肉は貴重なタンパク源であり、さらに冬眠中のクマは脂肪も豊富で、特に美味とされた。毛皮も高値で売れることから、猟師は早速に銃を構えたものの、仕留めることができず、かえってクマを刺激し、返り討ちにあってしまった。猟師は殺され、眠りを妨げられたヒグマは、冬眠中の空腹状態だったこともあり、餌を求めて札幌区の市街地までやってきたのである。

写真はイメージ ©︎AFLO

 同月17 日、札幌警察署は駆除隊を組織し、ヒグマの捜索にあたった。同日、豊平川対岸の平岸村(現・豊平区平岸)でヒグマを発見し追撃するも、その後、猛吹雪のために見失ってしまう。周辺は、今でこそ住宅地が広がるが、当時はまだ開墾され始めて間もない森林地帯だった。

 森に逃げたヒグマだったが、空腹を満たす餌は乏しい。食べるものを求めて、自然と人里へと近づいていく。こうして第2の事件が起きたのである。