第2の事件の発生 父子もろとも食われる

 同日の深夜、ヒグマは丘珠村(現・丘珠町)の家を急襲した。当時の丘珠村は、山中で炭焼きを生業とする人々が集住する地区であり、家といっても木材と藁で作った三角屋根の簡素な小屋である。両手を合わせたような格好であることから「拝み小屋」と呼ばれていた。当然、クマにとって侵入はたやすい。異変に気づいた家主の男性は、筵の戸を上げて様子を窺おうとしたところを、クマの一撃を受けてたちまち昏倒した。家主の妻は幼い我が子を抱いて小屋の外へ逃げ出したが、後頭部にヒグマの一撃を受け、息子を雪の中へと落としてしまった。頭皮が剝がれるほどの重傷であったが、命からがら近隣に住む雇い人に助けを求めた。

 雇い人と負傷した妻が家へ戻ると、ヒグマは雪原に投げ出された息子を食い殺している最中だった。雇い人もクマの返り討ちにあい負傷するなど、誰もその凶行を止めることはできなかった。

 翌日、ヒグマが去った後に再び家へ戻ると、家主の夫は、その原形がわからなくなるまで食い荒らされた状態で見つかったのである。

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 その後、円山で冬眠を妨げられ、人食いとなったヒグマは、18日の昼頃、第2の事件の現場付近で、駆除隊によって発見され射殺・駆除された。ヒグマは体長1.9mになるオスの成獣で、死骸は札幌農学校(現・北海道大学)に運ばれて、教授の指導のもと、学生たちが解剖に当たった。そのときの様子が、回顧録『クラーク先生とその弟子たち』に生々しく記されている。それによれば、異常に膨らんだクマの胃をメスで切り開くと、消化された内容物とともに、人間の頭髪や、食われた赤子の両手と頭巾、歯形のついた大人の腕が出てきたという。

写真はイメージ ©︎AFLO

 胃の内容物はホルマリン漬けにされ、クマの死骸の剝製とともに、現在も北海道大学付属植物園に保管されている。事件の翌年に北海道を訪問した明治天皇が、その剝製を天覧したことから、この人食いグマの存在が、世間の注目を集めるようになったという。

次の記事に続く 傷は骨にまで至り、食いちぎられた肉片が少年のかたわらに落ちていた…愛くるしいジャイアントパンダが侵入者の脚を“食いちぎった”驚愕の理由