1915年の暮れ、北海道苫前村三毛別(とままえむらさんけべつ)の開拓地にあらわれた人喰い羆(ひぐま)は何人もの女性や子どもたちを食い殺し、胎児を掻き出し、開拓移民小屋10軒を荒らしまわった。世界にも類を見ないこの食害事件の真相について生存者の証言を丹念に聞き取った元林務官・木村盛武氏によるノンフィクション『慟哭の谷』より、「第2章 通夜の亡霊」を紹介する。使者として大任を果たした斉藤石五郎を迎えたのは、あまりにもむごい妻・タケと子どもらの受難の知らせであった。(全2回の2回目/前編から続く)

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明日にも生まれそうな臨月の身

「うわあ!!」

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 体が引き裂ける痛みにオドは絶叫した。

 この叫びに思わず手を放した熊は、今度は恐怖に泣き騒ぐ親子のいる居間に戻った。ここで熊は明景金蔵を一撃の下に叩き殺し、怯える斉藤巌、春義兄弟を襲った。巌は瀕死の傷を負い、春義はその場で叩き殺された。この時、片隅の野菜置場に逃れていた母親斉藤タケは、わが子の断末魔のうめき声に、たまらずムシロの陰から顔を出してしまった。執拗な熊はタケを見つけ、爪をかけて居間のなかほどに引きずり出した。タケは明日にも生まれそうな臨月の身であった。

写真はイメージ ©iStock.com

「腹破らんでくれ! 腹破らんでくれ!」

「腹破らんでくれ! 腹破らんでくれ!」

「喉食って殺して! 喉食って殺して!」

 タケは力の限り叫び続けたが、やがて蚊の鳴くようなうなり声になって意識を失った。

 熊はタケの腹を引き裂き、うごめく胎児を土間に掻きだして、やにわに彼女を上半身から食いだした。

 明景力蔵は最初タケと同じ隅の野菜置場に身を隠していたが、ここでは危ないと、さらに4メートルほど離れたところに2段積みになった10俵ほどの穀俵の陰に身をひそめた。力蔵は隠れながら、むごたらしい殺戮の音を聞くまいとした。だが聞くまいと焦れば焦るほど、断末魔のうめき声と救いを求める婦女や子どもの叫び、人骨を咬み砕く音が耳を打った。また、見るまいと思っても、熊は目と鼻の先、顔はいつしかそちらへ向いてしまうのであった。

 バリバリ、コリコリ……

 あたかも猫が鼠を食うときのような、名状しがたい不気味な音がする。と同時に、耳打つフウフウという激しい息づかい、そして底力のあるうなり声。力蔵は恐怖に全身が硬直して声も出せず、やがては自分の番だとあきらめきっていた。

 タケを食い殺した熊はなおも飽くことなく、すでに息絶えた金蔵の胸部、肩部、頭部と食害し、さらに、息も絶え絶えにうめき続ける巌の左股、臀部、胸部、肩部と食い続けた。