無傷では逃げられなかった

 通訳のTさんが叫んだ。私が最初の一歩目を踏み出すと同時ぐらいだった。坂道の低い方へと下っていた。この頃の私はチームの安全よりも自分のことを優先する傾向にあった。そのため違和感に気づいたことをみんなに伝えるよりも先に体が動いたのだ。もちろん、取材陣の中で私が動けばみんなついてくるということも考えてはいた。後から事情を説明すればいいとも思っていた。それぐらいの違和感だったのだ。ところがTさんが口にしたリンチという単語が状況の不味(まず)さが差し迫っているのだと改めて突きつけてきたのだ。

 私たちのチームは一気に坂道を下った。始まりかけのリンチが大きな動きになることはなく切り抜けることができた。多少残った膝の痛さは、この取材を甘くみた自分への戒めとして受け入れることにした。誤解なきように言っておくと、私の取材スタンスが雑だったために市場の人たちの警戒心を(あお)っただけのこと。本来のリンチとは少々異なる。

 そう——、ボリビアではリンチが生きている。

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根強く残る“伝統的に許される暴力”の風習

 ここ、エル・アルトでも目に見える形でリンチを知ることができる。自分たちがリンチにかけられる危機を回避して町内を散策していると、それはすぐに目に入った。

ボリビア多民族国の地図(書籍より引用)

 電信柱に()るされた実物大の人形だった。一瞬、本物の人間が吊るされているのかと錯覚するほどのサイズ感。そこには「泥棒はリンチする」と書かれた紙がセットになっていた。

 ボリビアのアンデス山脈の奥深く、標高の高い村々では、いまだに古くからのリンチの風習が根強く残っている。法律が及びにくいこれらの地域では、村人たちが自らの手で正義を実行する。この風習は「コミュナリオス」と呼ばれ、村社会の秩序を保つための自警活動と位置付けられている。

写真はイメージです ©AFLO

 司法はどうしているのかといえば、黙認している。山岳地帯が多いボリビアでは各地へのアクセスが困難なため法の支配を徹底させることができない。警官の数が圧倒的に足りていないのだ。そのため犯罪が発生しても迅速な対応が難しく、人々は自らの手で治安を守る必要に迫られた。結果としてコミュナリオスは、伝統的に許される暴力であると同時に司法的な役割を果たしている。

 リンチの対象となるのは、主に泥棒や暴力犯罪者である。財産を奪ったり、危害を加えたりした者は、そのエリア全員の前で裁かれることになる。広場に集められた犯人は、証拠や証言を元に即席の裁判を受け有罪となれば直ちに罰=リンチが下される。または裁判すらなしでリンチに処されることもあるという。ここ数年の出来事をいくつか集めてみたので紹介しておこう。

◆2013年、ベニ県リベラルタ市で、地域住民が麻薬密売の容疑でマリオ・ゴンザレス(Mario Gonzales)をリンチにかけた。彼は無罪を主張したが、群衆は彼を激しく殴打したうえで焼き殺した。

◆2015年、タリハ県で、ペドロ・ファルコン(Pedro Falcon)が強盗の容疑で地域住民にリンチにかけられた。彼は重傷を負い、その後病院で死亡した。

◆2018年、ポトシ県のある小さな村で、家畜泥棒が捕まった。村人たちは犯人を村の広場に引きずり出し、彼に対する裁判を行った。証言によれば、犯人は何度も同じ村で家畜を盗んでいたという。村長が裁判官を務め、村人たちの前で犯行の詳細が語られた。犯人は罪を認め、許しを乞うたが、村人たちは許す気はなかった。

 裁判の後、犯人は村人たちによって縛り上げられ、鞭打ちの刑に処せられた。鞭打ちは数時間に及び、犯人が意識を失うまで続けられた。その後、村のはずれに放置されたが、奇跡的に命を取り留めた。その後、二度とその村に戻ることはなかったという。