かつて“夜の島”として知られた渡鹿野島が、静かに姿を変えている。度重なる摘発と悪評、そして観光の変化――追い詰められた島民たちが選んだのは「浄化」という道だった。1990年代に始まった転換は、やがて家族連れや高齢客を呼び込むまでに至る。なぜ“売春ビジネス”は消えたのか。ノンフィクションライター高木瑞穂氏の新刊『ルポ 風俗の誕生』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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偉人も愛した桃源郷の終焉
「島には暴力団の組事務所はないですよね。観光で来ることはあっても」
「うん。組事務所はない。ただ女の子についているヒモ男は何人かおって。島のカネ回りがよかったころには周辺には伊勢志摩連合会などのヤクザ組織があって、そこに出入りするようになった人がそのヒモ男のなかにいたよね。その男らが盆暮れになると盆栽を『買うてくれ』と売りにきたことはあったよね。まあ、それまで女のヒモをしていた程度で、そんなに悪い人間ではないちゅうことがあったんで、まあ、付き合いとして盆栽を受け入れていたちゅうことはあるけども」
三橋さんは、ヤクザの存在についても包み隠さず話した。おそらく彼は、本当にA組の存在を認識していないのだろう。そして私が、「この島には私有地しかないので警察署が建てられない」という噂を聞いたとたずねると、三橋さんはこう否定してみせた。
「そんなバカなことない。あのね、警察署や派出所を建てるにはある程度の人口が必要なんです。僕が『ここに建ててくれよ』とお願いしても、行政から『ここは人口割れしていますから無理です。いまある派出所にしてもそう簡単には移動させられません』と返されたことがあるんよ。昔は的矢に派出所がありました。でも、いまは磯部にしかなくて。
渡鹿野の置屋の摘発が相次いだころにも、『そんなに取り締まるならここに(派出所を)置いといたらいいやん!』と言いました。でも、『人口割れしていますから。規定で決まっていますから』の一点張りです」
「岡田さんが経営していた『つたや』も『パラダイス』『青い鳥』も行き詰まり、競売にかけられ県外の方が落札しました。でもいまだに借り手が現れず塩漬け状態です。観光地化を進める動きの一方で疲弊するホテル、置屋、スナックなどが目立ちます。『つたや』さんを追い出すことになった暴力団排除の動きは共通だとしても」
