個性的すぎるブーニンの子育て

 小学校に通うようになるまでは、息子も演奏ツアーに連れて行きました。そこで気づいたのですが、ブーニンの子育てはとても個性がありました。イタリアでは息子に「ミルクが欲しいです。おいくらですか?」とイタリア語で練習させているのです。なぜそんな言葉を教えるのか。彼は、もし息子がこの知らない国で迷子になっても、これさえ話せれば、とりあえず喉も乾くことなく、私たちが探し当てるまで生きることができると言いました。

 しかし、ピアノはいけません。天才ゆえなのか、ソ連式なのか、手加減ができず、つい手が出てしまうのです。息子はほかの先生に就くようになりました。

1998年、ポーランド・ワルシャワで。ブーニンは右足を捻挫して車椅子。(本人提供)

 99年4月、息子が6歳になった年に、ブーニンと私は結婚しました。デンマークでは、国内に72時間以上滞在さえすれば、外国人でも正式に結婚することができると知ったのです。そこで私たちは演奏ツアーに行く途中にコペンハーゲンに立ち寄り、親子3人でポーカーをやって時間を潰して72時間が過ぎたところで市役所に婚姻届を出しました。ちなみに、ポーカーは息子のひとり勝ちでした。

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日本ツアーをすべてキャンセル「ブーニンが姿を消した」

 日本にも居を構え、ブーニンは奥尻島の津波の被災地にピアノを持ち込んでコンサートを開いたり、東日本大震災の被災地や北朝鮮による拉致被害者家族会のためのチャリティー公演を主催したり、ボランティアにも熱心でした。

 大きな試練に見舞われたのは、2013年のことです。左肩に激痛が走り腕を動かせなくなったのです。やむなくその年の日本ツアーをすべてキャンセルし、そのまま彼は舞台を去りました。こうして「ブーニンが姿を消した」と言われるようになるのです。